【今回の記事】

【記事の概要】
   関東地方の田舎で双子の赤ちゃんが生まれました。第1子は死産でした。第2子は生きて生まれましたが、「腹壁破裂という先天性の奇形がありました。おへそのすぐ脇にあなが開いていて、そこから全ての小腸が体外に飛び出していたのです。もちろん緊急手術が必要です。放置すればたちまち感染が起きますし、外に出た小腸からどんどん体温が奪われますので赤ちゃんは低体温になります。何十枚ものガーゼでくるまれた赤ちゃんは救急車で深夜、私が勤めていた大学病院の小児外科に搬送されてきました。
 体外に飛び出している腸は、羊水にさらされ続けていたために分厚くむくんでいます。そのため、全ての腸をおなかに中に納めて腹壁を縫合すると、赤ちゃんのおなかはパンパンに膨れ上がりました。おなかが胸を圧迫しますので、赤ちゃんは自分の力で呼吸することができません。手術は終了したのですが、私たちは赤ちゃんを人工呼吸器の付いた状態で病室に連れて帰りました。
対面した家族から小さな悲鳴、騒然、やがて沈黙…
   家族控室には、赤ちゃんの父親と両家の祖父母が集まっていました。私たちは赤ちゃんの様子を口頭で伝え、それから面会してもらうことにしました。ただ、ちょっと心配がありました。赤ちゃんの奇形はお腹だけではなかったのです。両手両足の指が6本ずつあったのです。
 家族に病室へ入ってもらいました。すると誰も赤ちゃんの顔やお腹を見ません。両手両足を入念に見ています。深夜の病棟に小さな悲鳴のような声があがります。病室は騒然となり、やがて誰もが黙りこくってしまいました
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◯「今、呼吸器から外すと命はない」と声を上げる教授、父親の答えは…
 手術から2日たった日の午後、父親が小児外科の外来診察室に姿を現しました。教授の診療が終わるのを待っていたのです。父親は頭を深々と下げて、赤ちゃんを今すぐ人工呼吸器からはずして自宅に連れて帰りたいと言います。教授は目を丸くして、「今、呼吸器から外したら赤ちゃんの命はない」と大きな声を上げました。父親の答えはこうでした。
「赤ん坊を、上の子と同じ穴の中に埋めてやりたいんです」
 教授と父親のやりとりをそばで見ていた私はびっくり仰天しました。そして父親を廊下の隅へ連れ出して、赤ちゃんの命は赤ちゃんのものであり、親が勝手なことをしてはいけないと懸命に説得しました。父親は、「先生には分からないよ。田舎でこういう子を育てるのが、どんなに大変なことなのか」と悲しそうにうなだれて、廊下を去って行きました。

◯母親の涙が一滴、赤ちゃんの頬に…それが転機に
 私は、母親が赤ちゃんに初めて面会する時までに何としても赤ちゃんの状態を良くしようと決意しました。連日病棟に泊まり込んで徹夜の術後管理を続け、術後6日目に呼吸器を外すことができました。そして7日目に母親が病棟にやって来ました
 赤ちゃん用のベッドの上で、手足をバタバタさせている我が子を見て、母親は顔を紅潮させました。私は母親に赤ちゃんを抱っこさせました。まだ酸素が必要だったので、私は酸素チューブを赤ちゃんの口元にあてがいました。(母親の)涙が一滴、赤ちゃんの頬に落ちました。これが転機になりました。家族は一人また一人と赤ちゃんを受け入れていきました。もちろん父親もです。私は障害を持って生まれた赤ちゃんを受け入れるのは、単純なことではないと思い知らされました。

(小児外科医 松永正訓)

【感想】
   父親は人工呼吸器を外してほしいと言った。母親は赤ちゃんと生活を共にすることを決意した。
この違いはどこから生まれたものでしょうか?

   私は、「父性」と「母性」の違いだと思います。「母性」の役割は、これまでに繰り返し述べてきたように、“子どもの受容”です。本能的に刻まれた“子どもを受け入れる性質”を母親は持っているのです。それに対して、「父性」の役割は、母子分離の手伝い、子供との遊び役、そして子供のしつけ役です。つまり、子供を母親から離し、子供を社会に通用する人間に育てる、言わば“子どもの社会化”です。父親はこう言っています。
先生には分からないよ。田舎でこういう子を育てるのが、どんなに大変なことなのか
と。つまり「この子が『田舎という社会の中で生きていけるのか?」ということを考えたのだと思います。
   それに対して、母親は、本能的な“子どもの受容欲”、つまり「我が子を受け入れたい」と思う気持ちに突き動かされたのだと思います。
   それに加え、母親は医師から赤ちゃんを抱っこするように促されました。赤ちゃんを抱っこしたことで、母親の中に我が子に対する「愛着(愛の絆)」が芽生えたのだと思います。通常は、子どもが母親を信頼し母親に対して「愛着(愛の絆)」を形成します。しかし、「愛着」という概念の生みの親であるJ.ボウルビィによれば、愛着の形成は、子供から母親へ(「お母さんが大好き」)という一方通行ではなく、母親から子供へ(「この子が大好き」)という双方向性を持っているそうです。この性質が、母親と子どもとの絆をより強固なものにするのでしょう。

   6本指の奇形で生まれたこの赤ちゃんの命を救ったのは、双方向性を持つ母子間の「愛着愛の絆)」だったのです。改めて母子の絆の強さを知らされた思いです。