皆さんの学校や教育行政への不信感
もう限界に来ている可能性も感じます
大津の時もそうですが、直ぐに「裁判対策」の構えに入るのです
とたんに都合良く話し作り隠蔽が始まるのです
学校がもっと人間らしく遺族の心情に寄り添って対応すれば
むしろ学校の冷たい隠蔽が
そもそも教師は、生徒の成長や幸せを築くための存在です。いじめがあったという事は、すなわちいじめられ苦しく辛い思いをした生徒がいたという事ですから、そういう生徒の心情に寄り添うのは当然のことです。
また、いじめ加害者についても、生徒の成長や幸せを心から願う教師ならば、いじめ指導をした後に「チクったな」と感じさせない指導、加害生徒が「この先生は、自分のために言ってくれている」と感じさせる指導が可能なはずです。
以前もお話しした事がありますが、私が在職中、研究主任という担任を持たないポストに着いていた時に、6年生のある学級が2学期に学級崩壊を起こしました。その為に3学期は私がその学級担任を兼務することになりました。
そんなある日、ある男子(普段から生活態度が乱れていた子供)がある女子に対していじめ行為をしました。そこで私は、その男子を別室に呼んで個別指導をしました。始めはもちろんいじめ行為の注意をし反省を促しました。そして指導の終盤に気持ちを込めてこう言いました。
「今の◯◯君は本当の◯◯君ではありません!」
そう言った瞬間、私の目から涙が溢れてきました。当時の荒れた学級の中で苦しんできた子供であるという意識と、その男子の当時の劣悪な家庭環境を考えた時、その子が抱えていた苦しさに共感する気持ちが強烈に湧き上がってきた結果の涙でした。その子は、少しビックリした表情をした後に私につられたのかやはり涙を流しながらじっと私の目を見ていました。
次の日から、その子の生活態度は一変し、とても子供らしく明るくなりました。スキー場へ行ってのスキー教室から帰ってきた時には、バスから降りるともう1人の男子と一緒に私のところに来て目を輝かせてこう言いました。
「学校のスキー山でもっとスキーの練習をしていっていいですか?」
「やる気いっぱいだね!もちろんいいよ!」
と私が言うときらめくような声で
「ハイ!ありがとうございます!」
と言って元気にスキー山のある校庭へと走って行きました。
「生徒指導」は生徒の保護者と争うためのものではありません。生徒の「心」を正しい方向に導き笑顔をつくるためのものです。そこを見誤れば、教育は崩壊してしまうでしょう。