(この「愛着の話」は精神科医の岡田尊司氏を中心に、各専門家の文献を、内容はそのままに、私が読みやすい文章に書き換えたものです)


   さて、私達の一生の人格形成に影響を与える愛着が崩壊し始めたのは、いつからどのような理由によるものだったのかを知っておくことは、これからの日本社会を見つめなおすうえで大変重要であると考えます。
 その点について、岡田氏は自身の文献「愛着崩壊〜子どもを愛せない大人たち〜」(岡田2012)の中で「愛着崩壊のスパイラルが始まった」と表現し説明しています。ここではその記述を引用し、その点についてひも解いていきたいと思います。

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   愛着崩壊の最初のステップは、1950年代半ばから70年代初めにかけてのいわゆる高度経済成長期において、それまでの農業を基盤とする社会の構造が、工業化によって急速に変化したことでした。家族がともに子育てをし、共に働いて暮らしていた農村から、若者たちは働き手として都市に流入しました。集団就職列車で若者が大都市に大量に移動し始めたのが1954年からです。
   田舎に住む祖父母と離れ、団地やアパートに暮らし、工場に通勤するサラリーマン世帯となった彼らは、「核家族の家庭を築き始め、60年代頃から、核家族世帯が増え始めました。父親は不在がちで、専業主婦の母親子育てや子どもの教育を引き受けることになりました。
   家族の形態の変化は、愛着にも変容をもたらします。そもそも子育ては、母親一人で行うというよりは、家族で行うものでしたが、核家族化によって子育てが母親一人に委ねられることによって、母親の負担は増しました。これ以降、“母子の密着”や“母親からの支配”が起こりやすくなったのです。

 出生率結婚率下がり始め、離婚増え始めたのも70年代からです。その背景には価値観の変化もありました。
 戦前の“我慢”を美徳とされていた価値観も、敗戦によって否定され、個人の欲望を主張する空気が強まった上に、工業化と都市化によってもたらされた“核家族化”が、大家族に基盤を置いた、互いに協力しながら生活をするという価値観を急速に衰えさせたのです。愛着は“他者愛”や共同体愛を支えるものですが、それに反して、人間や社会はいよいよ“自己愛(自分のことを優先的に考える考え方)的な様相を呈していきます

 70年代は、第一次オイルショックによってもたらされた“狂乱物価”や、他者がつくった商品を購入する“商品経済”の浸透等にあおられて、家計は現金を必要とするようになっていきました。そうした経済状況にも後押しされて活発となったのが、女性の社会進出でした。共働きの世帯が急増するとともに、母親の負担はさらに増え、子どもにも負担はしわ寄せしました。子どもは祖父母保育所に預けられることになりました。こうして、専業主婦の家庭では“母子密着”が起きる一方で、共働きの世帯では愛情不足関心不足を味わう子どもが増え始めたのです。
 ある研究によると、保育所に預けられた幼児では、ストレスを反映する血中のコーチゾル・レベルが、家にいた時に比べて高い状態がみられました。特に、「0歳児保育」のように、余りにも幼いうちから、また長時間にわたって保育所に預けられることは、子どもが母親に対する攻撃的になったり、気が散りやすく課題に集中できなかったりする等、愛着を不安定にする等のリスクをより高めるとされています。なお、これらの結果は、個々のスタッフの熱意や力量の問題と言うよりも、身体的な問題や行動上のトラブルに気を配るのが精いっぱいで、その子どもの心理状態にまで配慮した関わりが難しい集団保育という体制による制約が大きいと考えられます。

   先のような戦後生まれ、戦後育ちの自己愛世代の人間たちが成長し、大人になり、結婚し、子どもをつくります。その自己愛世代の親に育てられた子どもたちが思春期を迎えたのが概ね70年代の後半ということになります。その頃から学校は急速に荒れ始めます。ことに中学校の荒廃ぶりは凄まじく、教師は殴られ、窓ガラスは割られ、授業中にはドッジボールが飛び交い、校舎の廊下をバイクが走りました。“戦後自己愛の親に育てられた子どもたちが起こした、まさに自己愛的行動の象徴とでも言うべき、校内暴力をはじめとする非行が大きな社会問題となったのでした。この時の様子を描いたテレビドラマがありました。それが、1980年から1981年にかけて放送された「三年B組金八先生」の第二作目でした。校内暴力を繰り返す子どもたちを取り締まるために、初めて警察が学校の中に入った回は今でも忘れられません。金八先生の「私たちは腐ったミカンをつくっているのではない。人間をつくっているのだ!」という名言も印象的でした。
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   さらにそうした事態に拍車をかけたのが、情報化の急速な進展と、映像メディアパーソナルメディアの爆発的な普及でした。テレビの爆発的な普及が起きたのが、東京オリンピックのあった1964年を境としてでした。60年代後半以降に生まれた子どもたちは、戦後の“自己愛”世代の親に育てられた世代であるとともに、生まれた時から家にテレビがあった世代でもあります。テレビは、我々の余暇の過ごし方や家族との団らんの姿を大きく変えました。お互いの顔を見て過ごす家族の生活は、皆がテレビを向いて座り、テレビに注目するという生活に変わりました家族同士のコミュニケーションやスキンシップよりも、一方的に流されてくる放送に耳を傾け、会話をしながらも、その注意の半分はテレビに向けられることが多くなりました。向き合うのではなく、そっぽを向いた上の空な関係が普通になったのです。さらに普及が進むと、テレビは一人一台の時代になり、各自がみたい番組を自分の部屋でみるようになりました。もはや家族はバラバラになり、一緒にいる時も、別々の画面を見て過ごすようになりました。
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子どもはポータブルゲーム機(今ではスマフォ)で遊び、母親は携帯スマフォ)の画面を眺めながら休みなく操作している。顔を見ることもアイコンタクトを交わすこともない。話しかけても、上の空の返事が面倒くさそうに返ってくるだけ。さらに母親は、授乳中でさえ赤ん坊の顔を見るよりも、携帯の画面を見て過ごす状況も珍しくなくなりました。

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「愛着」の形成の方法には「子どもとスキンシップを図る」「子どもを見て微笑む」「子どもに穏やかな口調で話しかける」「子どもの話をうなずきながら聞く(共感する)」「子どもを小さなことから褒める」等があります。つまり、家族が1人に一台確保されたパーソナルメディアに没頭し、互いに目を合わせることも会話を交わすこともなくなった家族生活は、子ども達から親との「愛着(愛の絆)」を奪い去りました。親との「愛着」が切れた子ども達は、糸が切れたタコのようにさまよい自分の心の居場所を失い「愛着」の不全状態、つまり「愛着」障害に陥り、人格上の様々な能力を失っていき、様々な社会問題を起こすに至るのです。
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