【今回の記事】

【記事の概要】
   有名大学を出て大手企業に就職し、管理職候補として期待される女性たちが、泣きながら働いている。「できないというのはイヤだった。できるかもしれない、と思いたかったひとり自宅にこもり、会社にあてて、遺書を書いた。
こんなはずじゃなかった
   私立の中高一貫校から、有名私立大学に進学。高校の時からの夢だったメディアの仕事に就くことができた。入社前から人脈を広げ、さまざまなツールを使えるように訓練し、努力してきたつもりだった。「おこがましいのですが、入社した時、同期の中では一番、私が仕事できるはずだ!と思っていました。それが……」
   配属された部署では、それらの努力や能力は「価値がない」「生意気」と見なされた。時代遅れのアナログ文化。PCで作った資料は、手書きで作り直しさせられた。
「私だけが活躍できていない」
   朝、起きられなくなった疲れるとすぐ頭痛がした。それでも、休めなかった。休みたくなかった。だって、みんなはつぶれていないから
   会社案内に載せる「社員から就活生へのメッセージ」を書いていたとき、手が止まって一文字も書けなくなった。入りたくてたまらなかった会社なのに、人に薦めることができない。泣きながら人事部に電話し、初めて休職について相談した。「突然、会社に行けなくなって周りに迷惑をかけてしまったら申し訳ない」と思っていた。
親には言えませんでした。中学受験でそこそこいいところに行かせてもらったから、『いい大学、いい会社に入ったうちの子ってエリート、私の子育ては間違っていなかった』ってきっと母親は思ってる私がこけると、親は自分の人生を否定してしまうなって」

【感想】
   一流企業に入った人間の中には、一流大学に合格した者も多いだろう。そんな彼ら彼女らは、受験戦争の中で勉強漬けによる生活を送って来た。そして常に勝利して来た。その「成功体験」が皮肉にも自分のプライドを増幅させるとともに失敗体験を欠如させてしまった。そんな人間が一度挫折を経験すると、
できないというのはイヤだった。できるかもしれない、と思いたかった」
「同期の中では一番、私が仕事できるはずだ!」
「それでも、休めなかった。休みたくなかった。だって、みんなはつぶれていないから
と思うようになったのだ。受験戦争に勝利し続けて名門大学や有名企業に入れたことが、いつしか逆に自分の足かせとなり、仕事を止める勇気が生み出せなくなっていたのだ。

   また、受験戦争を親(特に母親)と共に戦ってきた者も多いだろう。いや、現代では殆どの若者がそうだろう。
   テストでいい点数を取れば親が喜ぶ。いい大学に入れば親が更に喜ぶ。いつしか、親の喜ぶ顔を見ることが勉強のモチベーションになっている親を喜ばせるために勉強を頑張っている、そうした俗に言ういい子症候群」に陥っている若者は多いのかも知れない。
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少なくともこの女性が「『いい大学、いい会社に入ったうちの子ってエリート、私の子育ては間違っていなかった』って(親は)きっと思ってる」だから親に弱音を吐くわけにはいかない、我慢しなくてはいけないと、自分の苦しさよりも親の気持ちを優先的に考えていたことは、明らかに「いい子症候群」の症状であろう。いつも親にとっての自慢の子どもであり続けてきただけに、親には自分が挫折した姿は見せられないのだ

   以前私は、この「いい子症候群」について以下の記事で取り上げたことがある。
その中では次のような内容について述べている。
では、『いい子症候群』にならないためにはどうすればいいのでしょうか?子どもが親から叱られたくない、いつもいい子でいたいと思うのは、子どもが『自分を厳しく叱っているときの親は自分を嫌っている』と思っているからだと思います。」つまり、子供がうまく出来た時は褒めるが、出来なかった時には叱ったりガッカリしたりする。そういう親の言動が、子供に「親に好かれるためには成功するしかない」と“親にとってのいい子”を演じるように無言の圧力をかけるのである。言葉を変えれば、「親から嫌われたくない」という子供の気持ちが本能的に適応行動を起こしているとも言える。精神科医の岡田氏は、このような家庭が多い事を憂慮している。
   では、どうすれば子供に「いい子」を演じさせずにすむのだろうか?そのために必要なもの、それは「無条件の愛」である。因みに、先のようにうまく出来た時だけ褒めるのは「条件付きの愛」である。つまり、「失敗するあなたは嫌い」ではなく、「失敗するあなたも好き」という無条件の愛」を子供に伝えなければならないのだ。
   では、どうすればその「無条件の愛」を子供に伝えることができるか?この事については、以下の記事の中で私なりの考えを述べているので参照して頂ければと思う。
   キーワードは「我が子の本来の姿を信じる」ということになるだろうか?