因幡・伯耆国周遊の旅 2024.9 ハイライト 後編 | 果てなき旅路

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旅、温泉…たまには歴史。時の徒然に、好きな事を綴っております。

鳥取県の山奥には、もはや、人間が作ったとは思えぬ神秘的な建築物があり、これを見るためには険しい山道を行く必要があり、毎年、死者も出ているとか…





その建造物は「三仏寺投入堂」と呼ばれ、そもそも、三徳山・三仏寺は、鳥取県にある歴史的な山岳寺院で、修験道の中心的な修行地として広く認識されています。



本堂裏山頂上付近に地蔵堂を遥拝


この寺院の創設は平安時代に遡り、日本古来の山岳信仰と結びついています。


三徳山は、その自然の美しさとともに、厳しい修行の場としての性格を持ち合わせており、精神的な浄化を求める多くの修行者や参拝者が集まる場所とされています。



この受付より投入堂を目指します!!

当然ながら、現在も修験の場だけあって、そこに至るためには厳しい山道を往復1時間半ほどとのことですが、但し、入山には規則があります。

・単独での入山は不可
・靴は溝の付いたゴム底
 ※ない人は草鞋に履き替える



こちらが遥拝所

これらを受付所でチェックされ、氏名と住所を書いて、入山時間を記入して登り、下山時に下山時間を記入します。が…


投入堂まで登山できない時は、三徳山の麓にある『遥拝所』から望むことが出来ます目


 




( ̄□||||!!







国宝・投入堂


遥拝所とは、登山以外で、唯一投入堂を見られる場所なのですが、2022年の秋に遥拝所がリニューアルされ、ニコン製の高画質望遠鏡が設置され、国宝・投入堂をはっきりと綺麗に鑑賞できますおねがい





ただただ、平安時代の技術でこのような断崖絶壁に、何故に建てられたのか…


余りにも、ミステリアス叫び叫び叫び





さて、三徳山・三仏寺からはバスを乗り継いで、次なる目的地へ音譜音譜





 「山陰の小京都」倉吉の町並みを散策、やはり古い町並み(白壁土蔵群)は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。





鳥取県の中央に位置する倉吉は、古代には伯耆国の国府が置かれ、政治・経済・文化の中心地として発展しました。





室町時代には、中心部にそびえる打吹山に城が築かれ、麓には城下町が整備されました。


江戸時代には、鳥取藩の家老荒尾氏の陣屋町となり、江戸時代後期から明治・大正時代までは、木綿と稲扱千歯(いなこきせんば:脱穀用具)によって繁栄しました。




こちらの建造物は、1760(宝暦10)年建築の倉吉市に現存する最古の町屋建物です。





「淀屋」の屋号をもつ牧田家は倉吉を代表する商家で、淀屋橋で有名な大阪の豪商「淀屋」と密接な関係を持っていたと言われています。





倉吉ではそもそも、津山往来、八橋往来、備中往来といった交通網の結節点にあたり、その利便性から商工業が栄えました。





そして、徐々に商工業都市としての性格を強め、富裕な商人階層が「打吹玉川伝統的建造物群保存地区」内の本町通り沿いに屋敷を構えました。


現在でも、本町通りと玉川沿いには、商家の町並みが当時の姿で保存されています。



車窓より大山を望む

さて、真夏のような灼熱の太陽が、ジリジリと肌を突き刺す中、山陰の小京都・倉吉から特急「スーパーまつかぜ7号」に乗車し…





米子駅で下車、ここから路線バスに乗車して、この日の宿泊先のある皆生温泉に到着DASH!





この日のお宿はシーサイドに佇む…


愉快リゾート皆生温泉 

かいけ彩朝楽♨️





皆生温泉に宿泊して感じたことは、とにかく、その景色の表情がとても豊かで、夜の海は日本国内ではないような幻想的な雰囲気が印象的で…





早朝は東の空から力強く昇る太陽が、1日の活力となるパワーが、身体全体に注がれているかのよう照れ照れ照れ





鳥取県の旅路最終日…


この日は米子や境港を散策して、米子空港から帰路に向かいますグッ


江戸時代から明治時代に、商人の街として栄えた米子は今も変わらず、昔の街の佇まいが随所に残っています。




古い街並みが続く「白壁土蔵」、加茂川の川べりに続く並木道…


加茂川は米子の水運の中継地点としての役割も与えられ、今でも米子を代表する風景として親しまれています。





この加茂川には、このようなモニュメントが要所要所に見られ、カッパが出没していたという伝説があり、女性がトイレに行くと、厠の下からぬっと出てきて、お尻をなでて逃げて行ったという、奇妙な話しが残っていますはてなマークはてなマーク


エロカッパ!?ガーン





さて、この米子にもかつて城が築かれており、現在は城跡ですが、米子市の中心地、標高90mの湊山に築かれた米子城は、別名「久米城」とも呼ばれ、山陰地方で他に先駆けて築かれた本格的な近世初期の城郭です。





ここも山頂に城が築かれていたので登城あせるあせる

米子城跡には、城の建物は残っていませんが、石垣や礎石などは城郭の形態をよくとどめ、その構造を知ることができる城跡として貴重とのこと。




1601(慶長6)年、伯耆の国城主として中村一忠が米子へ移ってきた時に、まず米子城の築城にとりかかりましたが、既に1591(天正19)年、吉川広家により四重の天守がつくられており…




中村一忠はさらに、五重の大天守を建立し、名実とともに山陰一と呼ばれるの名城となり…

しかしながら、明治の初めの頃、わずかな金銭で売却されてしまったようで、今は残念ながら、石垣しか残っていませんショボーン




さて、2泊3日の因幡・伯耆国周遊の旅、ラストは米子駅から「境線 = 鬼太郎列車」に乗車して妖怪の町・境港へオバケオバケオバケ




「砂かけばばあ & 子泣きじじい」車両に乗車していたのだけれど、境港へと向かう途中、「鬼太郎」とすれ違いびっくり





私が今年体験した、最も暑い1日は、断トツでこの境港であったのが間違いなく、もはや、このまま「水木しげるロード」を歩いていたら、病院送りになりそうだったので、まずは…





水木しげる記念館キラキラキラキラ


「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親・水木しげる氏の人生や作品、水木先生によって描き出された妖怪の世界を紹介するミュージアム。





漫画に登場する沢山の妖怪が棲む「妖怪洞窟」や妖怪漫画だけにとどまらない水木作品の数々が揃う「漫画ワールド」など…





多彩な展示と演出で、水木ワールドに誘れることは間違いありませんお願い


!? 水木しげる記念館で暑さを凌ぎ、記念館の表に出ると、太陽も雲に隠れ、かなり過ごしやすくなっていたので、妖怪の町の中心「水木しげるロード」を散策おねがい





妖怪の町の中心「水木しげるロード」は、妖怪ブロンズ像をはじめ、お店も駅も交番も、はたまた外灯から公園まで、何から何まで妖怪づくしの町ごとテーマパークと言ったところでしょうか(笑)





今回はハイライトのため、境港の魅力を本当に僅かしかお伝えが出来ませんが、目玉おやじやねこ娘など、6種類の「鬼太郎列車」が走る境港線が何と言ってもおすすめで…


車体はもとより、車内の天井や座席などに鬼太郎や仲間たちがたくさん!!爆笑





帰路は米子空港から家路へ…


この3日間は、連日35℃を超える酷暑の日々でしたが、久しぶりに訪れた鳥取を身体一杯に感じ、本当に素晴らしい旅路となりました。


本編はいつになるか分かりませんが、必ず、レポートをしたいと思いますグラサン



おしまいニコニコ