明日香村へと訪れたならば、幾つか訪れたい古寺があります
◯橘寺
橘寺は聖徳太子建立七大寺の一つとされ、聖徳太子が祖父の欽明天皇の別宮・橘の宮を寺に改めたのが始まりと伝わります。
![キョロキョロ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/016.png)
創建当初は広大な境内に、四天王寺式伽藍配置の建物が多数並ぶ大寺院でしたが、ほとんどを焼失…
1864(元治元)年に再建された本堂(太子堂)には、木造聖徳太子35才坐像(重文)がご本尊として祀られています。
この木造聖徳太子35才坐像は、606年に聖徳太子が推古天皇の命を受けて、勝鬘経の講義をされた際のお姿とされ…
伝説ではその講義の素晴らしさに、天から美しい花びらが舞い降り、冠が “日 月 星” の光を放ったと伝わります。
こちらの観音堂は、1777(安栄6)年に本堂として再建されましたが、1864(元治元)年に本堂が再建されたため、建物を今の場所に移動し、観音堂として現在に至るとのこと。
柔和な表情の如意輪観音像が印象的です。
聖徳太子が勝鬘経の講義をされた時に、冠が “日 月 星” の光を放ったと前述をしましたが、ここで聖徳太子について、軽く触れたいと思います。
「マリアは忽然と現れた天使ガブリエルから、やがて神の子を産むことになると告げられ、処女のまま懐胎した。そして旅先のベツレヘムで臨月を迎え、馬小屋で男の子を産んだ」
キリストと聖徳太子の類似を早くから指摘したのは、明治・大正時代に活躍した歴史学者久米邦武です。
明日香村は “謎の石” で有名ですが、橘寺の境内にも、二面石と呼ばれる謎の石造物があり、左右に人の顔が彫られています。
左右それぞれ表情が異なり、右は善面、左は悪面と呼ばれています
阿弥陀三尊像を本尊とする往生院は、聖徳太子の精神を今日に生かそうと、念仏写経研修道場として1997(平成九)年に再建され、多目的道場として活用…
![目](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
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さて、橘寺を後にして、レンタサイクルで明日香村を疾走します
次の目的地へのその途中、『万葉集』に23首(一説ては21首)詠まれているという飛鳥川ですが、こちらにはその石碑が建てられています
![グッ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/114.png)
遥か古代のロマンを求め、飛鳥の地を巡礼…
旅はまだまだ続きます…🌠