旅行・温泉ジャンルにも関わらず、外出の出来ない日々が再びはじまり…
で今回も前回の尾崎から引き続き…
音楽について好き勝手に語る…
徒然 “音楽” 紀行 = 超私的個人的音楽論は、女性アーティスト…
本田美奈子(本田美奈子.)さん
私が本田美奈子というアイドルを知ったきっかけは、忘れもしない、いや忘れるわけにも行かない、まだ小学生で鼻を垂らしながらイキっていたあの頃…
友人宅で偶然に見かけたデビュー曲「殺意のバカンス」のレコードのジャケット…
そのジャケットを見た瞬間に、身体全身に稲妻のような “電撃” が走ったことを今でも覚えています…
私がきっと、女性と言うものをガチで意識をした瞬間であり、それは性の対象と言うことではなく…
世の中にこんなにカワイイ人がいるのかと…😍
何か神々しいものが、この地上に降臨したかのような存在だったと思います…
それほどのディープインパクト
その頃の本田さんは、高校生だと思われるのですが、その当時、高校生といえばおニャン子クラブ…
まさに、おニャン子クラブはこの時代、一世を風靡したと言わんばかりに大ブームを巻き起こしていました…
小学生の自分にとって、高校生とはまったく別次元で生きているお姉さん…
そんな可愛くてキレイなお姉さんが、テレビに出ているという印象でしたが…
本田さんは、他のアイドルと比べ、何がそんなに違ったのか…
それはルックスはもちろん、抜群の歌唱力…
本田さんの経歴は、1983年に原宿でスカウトされ芸能界入り…
84年に出場した長崎歌謡祭で、迫力ある圧倒的歌唱力が評価されてグランプリに輝き…
翌85年に「殺意のバカンス」で歌手デビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞…
86年の「1986年のマリリン」では、当時のアイドル界では考えられない “へそ出しのセクシー衣装” で激しく腰を振って熱唱し、大旋風を巻き起こしました…
当時を振り返り本田さんは…
みんながしていないことをやりたかった
いつか子供が産まれたら、お母さんは本田美奈子だった?のって言われるようなビッグな歌手になりたい
と夢を語っていたと言います…
88年には、女性メンバーだけのロックバンド MINAKO with WILD CAT´S を結成したが、ヒット曲に恵まれずに、翌年解散…🐈
転機は90年に訪れた…
日本初演となるブロードウェイミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションで、約1万5000人からヒロイン・キム(kim)役を射止め、表現力豊かな歌声と演技力でオーディエンスを魅了…
以降、「屋根の上のヴァイオリン弾き」「王様と私」「レ・ミゼラブル」など数々の名作で名を馳せたが…
ミュージカルの世界に入ったのは歌を勉強するため、歌は一番大切なもの…
と歌へのこだわりと強いプライドを当時のインタビューで明かしています…
2004年に姓名判断で「.」をつけて「本田美奈子.」に改名…
けれども、同年末から風邪に似た症状が続き精密検査を受けたところ、05年1月に白血病と診断され入院…
病床から…
きっと輝く健康な自分が待っていてくれる
そう信じています
とメッセージを送ったが、10ヶ月にわたる闘病生活の末、38歳の若さで急死…
帰らぬ人となり、急性骨髄性白血病で天国へ旅立って、15年の月日が経ちました…
1985年のデビュー以降、2005年に亡くなるまでの20年間、アイドルと呼ばれていた時期は、ほんの刹那…
2~3rdシングルに関しては、あまり覚えてはいないのだけれど…
4thシングル 「Temptation (誘惑)」はデビュー曲のような路線の曲になり、 相変わらずの可愛さに、顔がまりもっこりのようになってしまいましたが…
本田さんは歌が上手いなぁ
と、生意気にも思ってしまいました…
どうしてもあの時代ですから…
誰も彼もが夢中になったおニャン子クラブと、比べる必要もないのに、ついつい比べてしまうのですが、本田さんのあの歌唱力は半端ではなかった…
それをより強く感じたのが…
5thシングル 「1986年のマリリン」
当時の私にとって、あの “反則級のルックス” に加えて、抜群の歌唱力とヘソ出しのセクシー衣装で…
さらに、あの過激な腰降りのダンスでは、もはや、PTAや文部省が…
教育上に良くない
等と言い出し…
テレビで見れなくなったらどうしよう…
等と、真剣に考えたりもしたが、それ以上に、この人の歌唱力は、何度も言いますが…
半端ない
ということを痛感させられました…
その後は、ロック路線になったかと思っていたら「Oneway Generation」のようなポップソングを歌ったりと…
本田さんのアイドル歌手としての路線は、今一つとらえどころのない印象となったのが残念です…
けれども、本田さんのあの歌声ですから…
曲は本当に素晴らしい…
本田さん自身のキャラクターも独自のものがあり、めちゃめちゃ可愛らしい話し方をするその反面…
自分はアイドルじゃなくアーティストみたいな言動によって、周囲から生意気と思われるようなこともあって、賛否両論なアイドルだった印象も記憶にありますね…
なので、日本を代表するミュージカル女優に転向し、歌手として自信を深め、クラシックを日本語で歌うことに挑戦し始めた矢先…
白血病を患い、天国へと旅立ってしまったことが本当に悔やまれます…
人生最後まで希望を失わず…
懸命に生きた姿と美しい歌声は、今も人々の記憶の中で…
間違いなく輝き続けている
Amazing grace! How sweet the sound!
That saved a wretch like me!
I once was lost, but now I am found;
Was blind, but now I see.
やさしい愛の てのひらで
今日もわたしは うたおう
何も知らずに 生きてきた
わたしは もう迷わない
ひかり輝く 幸せを
与えたもうた あなた
おおきなみむねに ゆだねましょう
続く世界の 平和を
Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me
I once was lost, but now I'm found
Was blind, but now I see
最後に…
神様に一言…
天使の歌声を一人占めしないでくれ😭
で これが本当に最後…☆
前回、前々回とブログに綴つた尾崎豊と今回の本田美奈子…
年齢も2歳違いであり、当時の若者に与えた影響力も半端ないものだったが…
この二人に共通しているのが…
埼玉県朝霞市
果たして、神様の気まぐれか、運命のいたずらか、はたまた、ただの偶然なのだろうか…
二人が幼少から育ったこの街は、埼玉県の南部に位置し、東京練馬区に隣接しており、自然に囲まれ、都心にもアクセスしやすい街…
そして自衛隊の駐屯地がある市として有名…
お二人に交友の記録は見当たらないが、本田さんは生前に尾崎の「 I love you」 をカバー …
まるで対照的な二人だが、愛のために全力で生きた姿勢が人の心を動かしたのは、同じなのかもしれない…
そして、今年の大相撲初場所、前頭筆頭・大栄翔が優勝した時に、とあるインタビューにおいて…
これで朝霞が生んだ二人のレジェンドと肩を並べましたね
という質問に対して…
自分はまだその顔ではない
ときっぱりと答えている…
大相撲で優勝する事が、どれ程大変なことであるかは想像に難くないが、 この時以来、すっかり大栄翔のファンになってしまった…
いつか、三大レジェンドと呼ばれる日が来ることが、遠い話ではないような気がする…
それにしても朝霞市…
これほどまでに、稀代の英雄を輩出するとは…
恐るべし
最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。