家の中には「もの」がある | 偕楽園血圧日記

家の中には「もの」がある

 春っぽい陽気になった。


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「富山湾の宝石」シロエビ漁解禁 地震影響懸念もトラブルなし


(写真、NHK NEWSWEBより)

「富山湾の宝石」とも呼ばれるシロエビの漁が始まり、富山県射水市の漁港では新鮮なシロエビが次々と水揚げされました。能登半島地震の影響が懸念されましたが、トラブルなどはなかったということです。
 シロエビ漁は毎年4月1日に解禁され、射水市の新湊漁港では1日、沖合で漁を行った漁船が戻り、透き通った色の新鮮なシロエビを次々と水揚げしました。
 シロエビは大きいもので7センチほどと、初日としては例年より大きく、その場で競りにかけられました。
 漁協によりますと、1回目の水揚げはおよそ270キロで、やや高値で取り引きされたということです。
 シロエビ漁は海底近くで網を引くため能登半島地震の影響が懸念されましたが、海底の地形の変化で漁具が傷むといったトラブルはなかったということです。
 新湊漁業協同組合の松本隆司 理事は「地震の影響で漁を再開できるのか不安もありましたが、なんとか初日を迎えられてほっとしています。皆さんにおいしく食べてもらいたい」と話していまし>た。
(後略)
 NHK NEWSWEB 2024年4月2日 5時43分

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 シロエビかぁ。

 流通のせいなのか値段のせいなのか北関東ではまったく見かけないものだが、漁が始まったのはめでたい。
 地震から人々が立ち上がる「のろし」にもなる。


 三月の末あたり、特に「とある政党」の支持者たちが、輪島などにまだ残っている壊れた建物などをX(旧ツイッター)に挙げて「ぜんぜん撤去が進まない。政府は被災地を見捨てている!」と煽る投稿をいくつもしていた。

「いいかげんにしろ!」といいたい

 上でシロエビ漁が始まったニュースを引用した富山ですら、

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 能登半島地震で倒壊し道路塞いだ倉庫 公費で緊急解体 富山

 能登半島地震で住宅などへの被害が相次いだ富山県氷見市で、復旧の妨げになるとして道路を塞ぐように壊れた倉庫を緊急に公費で解体する作業が始まりました。
 能登半島地震で氷見市では住宅への被害が相次ぎ、28日時点で公費による解体の対象となる半壊以上の住宅などが923件にのぼっています。
 このうち姿地区では木造2階建ての倉庫が市道を塞ぐように壊れ、市は、復旧作業や日常生活の妨げになるとして30日から緊急の公費解体を行っています。
 現場には、解体業者の作業員らが集まり、屋根瓦を手作業で取り外したあと、重機が入って屋根をはがしました。
 倉庫には農機具などが入っていて作業員が慎重に運び出していました。
 倉庫を所有する廣澤二郎さんは「公費解体できると聞いたときは安心しました。田植えの時期を迎えるので農機具も使えるようになりなんとかなると思います」と話していました。
 姿地区の山本譲治区長は「緊急車両も通ることができるようになるし火事や病人が出たら危ないなと思っていたので、安心です」と話していました。
 市によりますと、住民から申請があった公費による解体は、29日までに207件で、市は来月以降、本格的に解体を進めることにしています。
 NHK NEWSWEB 2024年3月30日 13時33分

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 ようやくここまでこぎつけだ段階。

 石川県北部ほどの被害の出ていない富山ですら、解体には時間がかかるのだ。
 東日本大震災の時に全壊家屋は一件程度の被害であったわが水戸市ですら、今でもまだ崩れた塀の石がそのままにされてい足り、マンション外装のヒビがそのままになっているところもある。(2024/03/23の記事、人を思いやるということ)で取り上げた輪島のようなところでは、遅々として進まないのも無理はない。

 こんな層を焚きつけようとするのか、メディアの中には、

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 能登、倒れた家は被災直後のまま 進まぬ復旧「涙が出る」


(写真、共同通信より。石川県輪島市の倒壊した家屋から荷物を運び出す人たち=31日午後)

 能登半島地震の被災地では31日時点でも、倒れた家の多くは手付かずで、がれきも山積みの状態だった。「街の風景は3カ月前のまま」「涙が出る」。住民は進まぬ復旧に途方に暮れた。金沢市など遠方に2次避難している人も多く、慣れない環境で長期化する避難生活に不安や不満が募る。
「輪島朝市」では、黒く焼け焦げた建物跡の所々に花が手向けられていた。近くに住む向憲龍さん(81)は被災直後を思い出し「風景はそんなに変わらんな。見通しはつかないけど、いつか活気が戻ってほしい」とつぶやいた。
 一部壊れた自宅で生活する輪島市三井町の狭間孝彦さん(76)は「大工に修理を頼んでも3年は来られないと言われた。自分のできる範囲で直していくしかない」。2次避難先の金沢市から自宅の片付けに来ていた長井裕さん(68)は「生まれ育った輪島で早く暮らしたいが厳しい」と険しい表情だった。
 輪島市のみなし仮設住宅に住む女性(78)は「なじみの友達と会うことはなく、高齢者の1人暮らしはさみしい。いつまで支援してもらえるのか」と不安を口にした。
 共同通信 3/31(日) 18:15

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 東日本大震災や福島の事故以来さんざん繰り返されている「ネガティブな声ばかりを並べるお決まりのテンプレート報道」をするところもあるが、こういう勢力は、

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 倒壊家屋から見つかった結婚指輪やお年玉、思い出とともに遺族の元へ…能登半島地震3か月


(写真、読売新聞オンラインより。2人の結婚指輪を手にする末藤佳織さん(19日、石川県輪島市で)=佐々木紀明氏撮影)

 元日の能登半島を襲った地震からあすで3か月。地震で亡くなった人が自宅に残した品が家族の元に戻りつつある。手つかずのままの倒壊家屋からボランティアが見つけ出した。世界に一つだけの結婚指輪、約束していたお年玉――。形見となった品を手にした遺族は大切な人を思い起こしている。(押田健太、中村樹嶺)
 地震で夫の翔太さん(当時40歳)を亡くした末藤佳織さん(40)は16日、石川県輪島市山岸町の自宅で、一番の宝物を手にして、涙が止まらなかった。がれきの中から見つかった二つの結婚指輪。夫が大好きだった漫画「ワンピース」の単行本の下に夫の、そのすぐ近くに自分の指輪があった。「見つけてほしかったのかな。翔ちゃんらしい」

 元日に最初の地震が起きた時、佳織さんは自宅1階の寝室にいた。居間から駆けつけた翔太さんは佳織さんを抱きしめて安心させると、飼い猫を捜しに戻った。その直後、今度は立っていられない>ほどの揺れ。「翔ちゃん、翔ちゃん。私は大丈夫だから」「わかった」。そんなやりとりの後、さらに揺れが襲った。自宅は倒壊。佳織さんははって外に出たが、翌日午後に見つかった翔太さんは息を引き取っていた。
(中略)
 珠洲(すず)市の小学2年の児童(8)は16日、2か月半遅れのお年玉を受け取った。地震で亡くなった曽祖母(当時80歳)が用意していたもの。児童は、「もったいなくて使えない。宝物にする」と喜んだ。
 最後に照子さんに会ったのは昨年12月末。珠洲市蛸島町に住む照子さんの家の畑で一緒に長ネギを収穫した。「お年玉、用意しておくから楽しみにしてるんだよ」。笑顔でそう言った照子さんだったが、約束の日に自宅屋根の下敷きになった。
 お年玉は、がれきの下のタンスにあった。いつもにこにこして優しかったおばあちゃん。「さみしいけど、ありがとうって伝えたい」と児童は話した。

 倒壊家屋から貴重品を取り出すなどの作業は、主に民間のボランティア団体が担っている。全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(東京)によると、延べ約200団体が現地で活動してきた。
 その一つ、NPO団体「DRT―JAPAN」は家財の搬出や家屋の解体など約400件の要望に応えた。チームリーダーの樋口裕司さん(40)は、「公費による家屋解体が本格化すれば、貴重>品取り出しのニーズは増えるだろうが、(重機オペレーターなど)専門性のある人材が足りていない」と訴える。
 読売新聞オンライン 3/31(日) 0:02

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 同じメディアが伝えてくれているこういう「声」を、どう聞くのだろうか。

 こういう段階を経て、心に整理をつけ、(2024/03/23の記事、人を思いやるということ)で書いた権利関係をクリアして初めて「倒壊家屋の瓦礫」は撤去に手が付けられる。
「どんどんどかせ!」という者たちは「そんなものより目に見える更地」を主張するのか。事故を起こした列車を即日埋めてしまった国のように。

 そしてその同じ口で


https://twitter.com/meiriokikaku/status/1772924613338489049

 こんなデマで人を釣ろうとして、ノートで否定される。


 紅麹の時にも書いたが、人死にまで出ているようなことを自分の政治主張の道具にするな!(怒)



 上で引用した読売の記事の中で、NPOの樋口さんが「公費による家屋解体が本格化すれば、貴重品取り出しのニーズは増えるだろうが、(重機オペレーターなど)専門性のある人材が足りていない」といっている。
 まだボランティア受け入れ態勢が整っていないために「今は来ないで」といわれているときに押し掛け、その後「重機の資格を取った」と威張っていた政党代表は、今こそ能登に再び足を運び、その力を支持者とともに発揮してくれたらどうだろう?

 今度は、

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 災害ゴミの片付けなどをする一般ボランティア向けの宿泊施設の整備も進む。県は2月末に穴水町に宿泊拠点を設けたほか、七尾市も3月24日、野球場に100張りのテント村を開設した。市は県とは別に独自で募集し、31日までに678人が利用した。
 志賀町では、渋滞対策で県のバスに限っていた交通手段を見直し、25日からマイカーやレンタカーで通えるようにした。町災害ボランティアセンターの担当者は「バスの時間を気にする必要がなく、活動時間が増えた。災害ゴミの片付けが早く進むことを期待したい」と話した。
 応援職員と同様に、ボランティアも宿泊場所との往復に時間を取られ、1日の活動が4時間ほどに制限される状況が続いてきた。
 輪島市など6市町で動けるのは1日約310人。これまで延べ1万2508人が活動しているが、熊本地震では発生から2週間後には延べ1万2000人を超えていた。
 輪島市門前町舘の男性(72)宅では31日、約10人のボランティアが汚れた家具などを運び出した。「半壊」と認定された自宅は、片付けが進まずにいた。男性は「仏壇も運べずに困っていた。ありがたい」と話した。
 読売新聞オンライン 4/1(月) 6:59配信「応援職員の拠点に『空港ホテル』、復興加速へ進む宿泊場所確保…ゴミ撤去へは『テント村』」より

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 と、滞在拠点もできつつあることだし。


 本日の名物。

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 人気の十和田バラ焼き、黒石つゆやきそば 「100年フード」に認定


(写真、朝日新聞デジタルより。十和田バラ焼き)

【青森】文化庁の「100年フード」の2023年度の認定で、県内から「十和田バラ焼き」と「黒石つゆやきそば」が選ばれた。県内の100年フードは21年度の「清水森ナンバ一升漬」、22年度の「八戸せんべい汁」に続き計4件となった。

「100年フード」は日本の多様な食文化の継承と振興を目的に、文化庁が各地で世代を超えて受け継がれてきた食文化を認定するもの。部門は伝統(江戸時代から続く郷土の料理)、近代(明治・大正に生み出された食文化)、未来(今後100年続くであろう食文化)の三つがあり、食文化の伝承に向けて取り組んでいる団体が認定団体に選ばれる。
 今回認定を受けた十和田バラ焼きと黒石つゆやきそばは、ともに未来部門で、認定団体には「十和田バラ焼きゼミナール」と「黒石つゆやきそば伝紹会」がそれぞれ選ばれた。
 十和田バラ焼きはこの地域で古くから食べられてきた、牛バラ肉とタマネギを甘辛いタレで味付けした料理。08年に誕生した十和田バラ焼きゼミナール(バラゼミ)が中心となり、バラ焼きを生かした地域振興に取り組んできた。ご当地グルメの祭典「B―1グランプリ」に参加し、14年には最高評価のゴールドグランプリを受賞。15年10月には地元で全国大会を開催して計33万4千人が来場した。
 黒石つゆやきそばはウスターソースで炒めたやきそばに、和風だしのつゆをかけ、揚げ玉や刻みネギをトッピングしたもの。昭和30年代に市内の中学校近くにあった店が、学校帰りの生徒たちに提>供したのが始まりとされる。そばのような見た目なのにソース味という意外性が人気を呼び、観光名所「中町こみせ通り」近くの人気店には全国から大勢の人が訪れている。(鵜沼照都、伊藤唯行)
 朝日新聞デジタル 3/30(土) 10:45

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「十勝バラ焼き」は、バラ肉と玉ねぎを甘辛たれで痛めたもののようで、豚バラを使って普通に家で作っているようなものに近いけど、「黒石つゆやきそば」は面白不思議な料理だなぁ。


(写真、上記記事より)

「ウスターソースで炒めたやきそばに、和風だしのつゆをかけ」たものは、「カップ焼きそば」をお湯を捨てずに作ったような感じになるのだろうか?

 ソースは薄まるとあまりおいしくないのだが、そのあたりはどう調整しているのかなぁ。
 寒い時には、普通の焼きそばよりも温まっていいかも。