忘れない 忘れてはいけない | 偕楽園血圧日記

忘れない 忘れてはいけない

 昨日は突然足に力が入らなくなって倒れてしまい、家族に心配かけてしまった。
 手足がとても冷たくなっていたから、また発作が起きたのだろうか。


 今日は昨日書こうと思っていたことを一つ。

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「忘れられるのを防がねば」地下鉄サリン事件から29年、現場で献花


(写真、朝日新聞デジタルより。東京メトロ霞ケ関駅で献花する高橋シズヱさん=2024年3月20日午前10時ごろ、東京都千代田区、代表撮影)

 14人が死亡し、6千人以上が負傷した地下鉄サリン事件から、20日で29年になった。現場の一つの東京メトロ霞ケ関駅(東京都千代田区)では、発生時刻に近い午前8時ごろ、駅員らが黙禱(もくとう)し、犠牲者を悼んだ。
 高橋シズヱさん(77)は霞ケ関駅の助役だった夫の一正さん(当時50)を亡くし、毎年献花に訪れている。一正さんはサリンが入った袋を片付け、搬送先の病院で亡くなった。
 シズヱさんは、「オウム真理教が起こした事件を知らない世代が多くなった。生き残った私たちが、事件が忘れられていくのを防がなければならない。その誓いを献花台に伝えた」と話した。
 地下鉄サリン事件を経験し、事件を題材にした作品を制作した映画監督さかはらあつしさん(57)は、自宅がある京都府から献花に来た。
 事件当時、六本木駅から日比谷線の先頭車両に乗ると、目の焦点が合わなくなり、視界は次第に暗くなった。瞳孔が縮小する「縮瞳」の症状で、サリンの影響だった。事件後もPTSD(心的外傷後ストレス障害)や睡眠障害を抱え、この日も強い倦怠(けんたい)感があるという。「国による被害者への救済措置が不十分だ。亡くなった方々の分まで、まだまだがんばらないといけない」
 初めて献花に訪れたという女性(43)は、当時中学生。テレビで見た事件の光景がいまでも忘れられないという。仕事で日頃から霞ケ関駅を使うといい、「事件を風化させてはいけない。被害者の無念に手をあわせにきた」と話した。
(中略)
 事件は1995年3月20日に発生。オウム真理教の信徒らが、霞ケ関駅に向かう地下鉄日比谷線や千代田線、丸ノ内線の5車両で、サリン入りの袋をとがらせた傘の先で突き、サリンを列車内に散布した>。(比嘉展玖)
 朝日新聞デジタル 3/20(水) 15:53

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 一昨日はあの「地下鉄サリン事件」が起きてから29年目の日だった。

 朝日新聞は「忘れられるのを防がなければ」と書いているが、確かに。
 なにしろあの教団のことで名を売ったジャーナリストまでが、今では、


https://twitter.com/amneris84/status/1759924701328269600

 こんなことをいってしまうのだから。

(2012/01/04の記事、三が日明け 何事もなく始まる「お役所仕事」)の時のように、警察官ですら出頭してきたオウム手配犯が「わからない」ほど時間が経っているせいもあるから、「忘れている」というよりも「知らない」人も増えているかもしれない。
 が、もちろん「オウム真理教」が人々に知られるようになったのは大量殺人事件を起こしたからではない。それ以前から教祖がインドの有名人に会ったとか「空中浮揚できる」とかでオカルト誌や男性向け週刊誌に出ていたし、テレビのバラエティに出たりで「なんとなく知られていた」状態。
「坂本弁護士一家殺害事件」などが出たものの、ワイドショーネタの三面記事扱い。
 さらには総選挙に立候補者を立て、「ショーコーショーコー」と歌って踊る選挙運動を行い、それがテレビニュースなどで流され、子供が歌うまでになっていた。
 オウム真理教を「ちょっと変わった宗教サークル」のように宣伝していたのは、間違いなく「ジャーナリズムの世界」なのだ。

 それが「ボア」といって人を殺害していたことが明らかになったから、みんな驚いた。
 さらには幹部の村井氏が取材陣の前で刺されて命を落とす場面が流されたこと、「サティアン」と呼ばれた施設の捜査がテレビ中継されたことなどで、その危険性は知れ渡った。
 そうなったら出てくる出てくる。
 公証人殺害事件に、「坂本弁護士一家殺害事件」の再検証。さらには「従わなかった信者」の殺害。取材や調査をしているジャーナリストや弁護士への殺害未遂事件。
 そして松本や東京地下鉄の「サリン事件」。
 この「松本サリン事件」ではテレビ局が見当違いの人間を犯人扱いし、その先鋒になっていた人間は間違いを謝罪もせず今では国会議員を務めている。
「坂本弁護士一家殺害事件」では、TBSが坂本弁護士の活動をオウム側に伝えていたことが殺害の動機になったといわれ、あの筑紫哲也にまで「TBSは死んだ」といわせた。
 その間もテレビは彼らを「ネタ」として取り上げ続け、上祐氏を「スポークスマン」として出演させ続けたのだ。
 国松警察庁長官(当時)が狙撃された時、ちょうどその一報が入った時に「生」でテレビに出ていた上祐氏の表情をカメラが抜かなかったこと、今でも残念に思っている。

 オウム真理教が広く知られるようになったのは、「多くの人を殺した」ことをセンセーショナルに取り上げ続け、時には擁護までしていたテレビが大きく影響している。

 以前にも書いたことがあるが、地下鉄サリン事件はアメリカのハイジャック系映画の中でも言及されるほど衝撃的な事件だった。
「改正組織犯罪処罰法」が議論の俎上にあった時、反対派は「日本でテロなどない」といった。
 その一方で「安倍がイスラエルに行ったから日本がISILのテロに狙われる!」と騒いだ。
 だが日本は、先日死亡した桐島俊のような人間たちがうごめいていた頃から「テロの多い国」だったのだ。

 それらを「忘れられるのを防ぐ」ようにしないと。


 本日のイタリア。

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 パノラマ台で「山頂パスタ会」 山梨南部、晴れ間に富士山のぞく


(写真、共同通信より。山梨県南部の山、パノラマ台で開かれた「山頂パスタ会」でパスタを食べる参加者ら=20日午前)

 富士山を望む山梨県南部の山、パノラマ台(標高1328メートル)に登り、パスタをゆでて食べる「山頂パスタ会」が20日あった。昼ごろはあいにくの曇天で富士山は見えなかったが、下山直前に晴れ、参加した25人は「奇跡の富士山だ」と見入っていた。
 甲府市のレストラン「ナチュラルグレース」オーナーで山好きの三村正治さん(66)が主催。店でも提供する「春野菜たっぷりトマトソース」を常連客や登山仲間らに振る舞った。作ったのは15人前。水20リットルや鍋を分担して背負い、2回に分けてゆでた。ごみ拾いも行った。
 山頂パスタ会は約20年前から続き、年2回程度開催。詳細は店のウェブサイトで。
 共同通信 3/20(水) 17:25

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 山の頂上でパスタ。
 まるでイタリア軍の「砂漠でパスタ伝説」をなぞるような話だ(笑)。

水20リットルや鍋を分担して背負い」というから大変だなぁ。
 で、その「使った水」はどうしたのだろう? きちんとまた背負って下水施設のある所まで降りてきただろうか?

 私は「ヒロシのぼっちキャンプ」という番組が好きでよく見ているのだが、その中でヒロシがよく「生ラーメン」を買ってキャンプ場で食べるシーンが出てくる。
「生ラーメン」なので本来ならばゆで汁は捨ててスープはお湯で溶くことになるのだが、別のヒロシはゆで汁の中にそのままスープの素を入れて食べる。
「ゆで汁を捨てる」ことをしないのだ。
 ヒロシが意識高く環境のことを考えてそうやっていのか、ただ「面倒くさい」からやっているのかは知らないが、麺をゆでたお湯をそこいらに捨てないその姿勢は素晴らしい。

 三村さんは、頑張ってくれているかな?