なんでも「戦時中」に見えるほど頭の中が戦争でいっぱいなんだな | 偕楽園血圧日記

なんでも「戦時中」に見えるほど頭の中が戦争でいっぱいなんだな

 Yahoo!配信の雑誌系記事で、青沼陽一郎氏が、

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 禁酒令は「日本が新型コロナに“打ち負けた”証」だ

 もはや日本の政府の感覚がどうかしている。そうとしか思えない。なぜなら、国内の新型コロナウイルスの感染拡大――もっと言えば、感染対策の失敗を、いつの間にか“酒のせい”にしているからだ。

■ もはや何度目かも分からない菅首相の「お詫び」
 3度目の緊急事態宣言が発出された。対象は東京、大阪、京都、兵庫の4都府県。期間は4月25日から5月11日まで。しかも今回は、飲食店での酒類の提供停止や大型商業施設の休業が要請の対象になった。
 菅義偉首相は23日の記者会見で、再三の発出にこう述べている。
「私自身、これまで、再び宣言に至らないように全力を尽くすと申し上げてきましたが、今回の事態に至り、再び多くの皆様方に御迷惑をおかけすることになります。心からおわびを申し上げる次第でございます」
 もう毎回、この首相は国民に詫びている。そのことは以前にも書いた。
(後略)
(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
 JBpress 4/26(月) 11:50

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 こんな記事を配信していた。

 この著者の人は(2020/12/29の記事、さあ! 「ごっこ」は卒業しよう)で引用した分でも「GoToを止めたということはそれが感染拡大要因だと認めたことだ!」と、予防措置に対してヤクザの因縁のようないちゃもんをつけていたことからもわかるように「そういうことをポリシー」としている文章書きなのだが、「作家」を名乗るのならばせめて日本語はしっかり書いた方がいいのではないだろうか?

“打ち負けた”証」? いやいやこういう時に日本語では「“打ち負けかされた”証」と書くのだ。
 脊髄反射で「打ち勝った」をひっくり返して揚げ足取りをしているのだろうが、そんなことをしていては「文章書きとしての能力」に読者が疑問を持つだけで、それではいくら配信で何ページにもわたるものを書いても、読んでもらえなくなるだけ。
「酒のせいに」もなにも、酒が入ると自制心が緩む人がいるのは誰でも知っていることではないか。

 それにしても、昨日はこの手の雑誌記事が、 

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 小池都知事「灯火管制」が無意味だが全然笑えない「歴史的理由」

 2021年4月23日、小池百合子東京都知事は、午後8時以降は街灯以外の照明を消すよう要請すると発表した。これには「コロナは照明灯によって感染するのではない」とか「戦時中の灯火管制かよ」と揶揄する声があがった。
 しかし、この消灯要請は笑って一蹴できるものではない。むしろ、監視社会や恐怖支配への入口ではないかと、大きな危惧を感じる。
 なぜなら、街全体を消灯により暗くすれば、休業要請に従わず営業している店舗を鮮明に「あぶり出す」ことになるからである。
(中略)
無意味だった戦時中の灯火管制
 小池都知事の消灯要請は、戦時中の灯火管制を想起させた。被害防止の効果は乏しいが、社会の空気を変容させる効果が大きいという点で、両者は共通する。
 灯火管制とは、空襲の標的にならないよう、夜間の照明を制限することである。
(中略)
 また、戦争末期には夜間の空襲も繰り返されるたが、レーダーを搭載した米軍機に対して灯火管制は効果がなかった。1945年3月10日の東京大空襲は夜間におこなわれたが、一晩で死者10万人を超える甚大な被害が生じた(過去記事「10万人死亡『東京大空襲』の翌朝、政府が何と言ったかご存じですか」参照)。
「灯火管制のおかげで攻撃を免れた」という事象は一度たりとも確認されなかった。
(中略)
 しかし、小池都知事の消灯要請や、吉村府知事による見回り隊の出動命令は、国や行政の責任を曖昧にして、国民一人一人に感染拡大防止の責任を負わせる空気づくりに一役買っている。その意味で、戦時中と共通するものを感じる。
 だから私は、消灯要請や見回り隊に対しては、「無意味だ、無駄だ」という批判よりも、「恐ろしい事態をもたらす施策である」という批判をすることが大切だと思うのである。
 大前 治(弁護士)
 現代ビジネス 4/27(火) 6:31

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 これとか、

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 なぜ日本政府と地方首長の新型コロナ対応が「戦時中」と似てくるのか

 日本国内での新型コロナウイルスの感染者数が再び増加し、東京でも3度目の緊急事態宣言が発出される見通しとなった4月23日、小池百合子東京都知事は定例記者会見で「午後8時以降には、街灯を除き、看板やネオン、イルミネーションなどの照明を消していただくよう、業界団体などを通じて要請する」と述べました。
(中略)
 状況が悪化しているのは、一人ひとりの国民の努力が足りないからだという、首相や地方首長が繰り出す「問題認識の誘導」にうっかりだまされることなく、首相や地方首長に対して「国民の命と健康に責任を負う公人としての義務を果たせ」と言い続ける努力を怠れば、われわれはまた、1945年の日本人と同じ場所に立たされるかもしれません。
 そうならないために、いま何をすべきなのか。われわれもまた、過去に国策の犠牲となった日本の先人から、思考と行動を問われているように思います。
 山崎 雅弘(戦史・紛争史研究家)
 現代ビジネス 4/27(火) 7:02

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 これとかのように「戦時中がー」というものが時を同じくして並んでいたのは、面白い。
(2021/04/25の記事、マスメディアが緊張感のない者を焚きつけるな!(怒))で取り上げた小池都知事の「明かりを消して」要請を「灯火管制!」と揶揄したネットに迎合して発注されたテーマなのだろうが、見事に本質を見ないで妄想しているところなど、「そっち系」の人間の思考パターンが読み取れるのだから、いいデータになる。

 とりあえず「米軍機はレーダーを持っていたから灯火管制は無意味」については(2015/08/11の記事、事実を隠して「日本人弾圧法」を作らせるな!)で書いた「現代のような精度のルックダウンレーダー」があったわけではないのだ」ということを指摘して終わりにしておこうか。
 これらの文ではそういう事実を無視して戦時中の灯火管制を引き合いに出すことで「全体主義」をイメージさせ、それを今のコロナウイルス対策に投影させている。
 つまりは「強権的に抑え込むのは悪」と主張しているわけである。

 うん、それは「識者」とか「ジャーナリスト」たちが今まで立っていたポジションなのでその主張自体はおかしくない。
 だがこれらの記事ではその「強権」を非難しておきながら、一方では「個人の責任」を否定し、「政府は何もしないで感染拡大を国民のせいにしている」というのである。

 いったい彼らは、政府になにか「強制的に」してもらいたいのだろうか? してもらいたくないのだろうか?
 強権的な取り締まりが行われる全体主義社会にしたくなければ、個々人が自分の責任で社会を健全に保つよう努力しなくてはならない。それが彼らのいう「権力の介入」を招かないための一番の方策であるというのに、それを否定しながら「まるで全体主義国家のような~」といって政府を非難する。
 それで原稿料がもらえて肩書もつくのだから、なんと「お気楽」な商売なのだろう。


 発注時期が重なっていたのか、昨日はこの手の「戦時中がなんたら」が雑誌記事にはやたらと並び、ついには、

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 コロナ禍で五輪強行開催へと突き進む現状 まるで「太平洋戦争」

 世論調査では国民の8割以上が東京五輪の「延期」「中止」やむなしと考えているが、政府も東京都も組織委員会も「開催ありき」だ。国民を感染爆発に晒すリスクから目を背け、その場しのぎの対応策しか繰り出せない様は、かつてこの国を破滅に追い込んだ「あの作戦」とあまりにも似ている――。
 菅義偉・首相は4月の日米首脳会談後の共同会見で、「世界の団結の象徴として開催を実現する決意であることを大統領にお伝えし、支持をいただいた」と“五輪強行”を国際公約した。
 日本のメディアは世界とは逆に「開幕まであと○○日」とカウントダウンで五輪ムードを煽り、NHKは聖火リレーのインターネット中継で、「五輪反対」と抗議する沿道の声を一部消して配信した。
 歴史家の島崎晋氏は、政府とメディアが“ここまで来たらやるしかない”と突き進む現状が、不利な戦況を隠して戦争を続け、国を敗戦へと追い込んだ太平洋戦争と重なって見えるという。
(中略)
「ガダルカナル島の戦いの失敗とされる『戦力の逐次投入』と同じです。米軍に占領された飛行場を奪回するため、日本軍は900人の部隊で奪還作戦を行なったが、1万人以上の米軍が待ち構えていて部隊は全滅。次に6200人の部隊を投入したが敗退、3回目の作戦で日本軍はようやく1万5000人の軍を投入したが、米軍もその2倍に増員していて完敗した。正確な情報収集と分析を怠り、戦力>を小出しにした結果でした」(中略)
 さらに当時の大新聞は「大本営発表」を垂れ流し、ガダルカナルの大敗による撤退を「転進」と言い換え、あたかも作戦が成功しているかのように報じた。全国紙は軒並み「五輪スポンサー企業」に名を連ねており、「五輪中止」を提言していない。開催すれば、再び国民が“一億玉砕”に追い込まれる可能性がある。
※週刊ポスト2021年5月7・14日号
 NEWSポストセブン 4/27(火) 11:05


《IOCはGHQか?》菅首相「五輪中止」の責任放棄に批判の声

《IOCはGHQなの?》
《進駐軍が上陸してきて、無理やり五輪を開催でもするんでしょうか?》
 いまツイッター上では菅義偉首相(72)にこんなツッコミが相次いでいる。
(後略)
 女性自身 4/27(火) 11:12

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「戦時中」から「戦後の占領期」まで話が膨らむのだから、いやはや、仮らの想像力の豊かさには恐れ入る。

 いつもの女性週刊誌は菅総理が「五輪中止」を言わないのは責任放棄だと罵倒するが、何度も書きまた(2021/04/25の記事、マスメディアが緊張感のない者を焚きつけるな!(怒))で引用した首相官邸の発表の中で菅氏自身も言っているように、「その権限は政府にはない」。権限のないものを勝手に中止宣言する方が「無責任」というものだ。
 こういう人たちは、「中止しろ!」というならばIOCに。英語が苦手ならば小池都知事に「開催を返上しろ!」というべきなのだ。
 そういう動きがみられないというのは、つまるところ彼らにとって五輪自体のことなど本当はどうでもよく、ただ「中止にさせて日本に恥をかかせて留飲を下げ、それを政権ダメージにしたい」というまるで韓国のようなものの考えがあるから。

 まったくくだらない。

 ところでちょっと本論から外れるが、NEWSポストセブンの記事の中にある「戦力の逐次投入」という言葉、「それを言っていればなにか論理的な批判をしている気分」になれると思うのか使う人がやたらと多いが、言っている本人が言葉の意味を理解していないようではまるで説得力がないから注意しなくては。
 記事では「ガダルカナル」を出してこの言葉を使っているが、あの一連の作戦は「戦力の逐次投入」ではなく、単に米軍の投入能力が日本軍を上回っていたというだけで、「100の相手に20で勝てると思っていたらダメだったのでまた20出して」というものではない。
 ガダルカナルのことを挙げるのならば、世界でも珍しい「陸軍の潜水艦」まで用意せざるを得なくなったほどの「陸海軍の対立」、すなわち「縦割り行政」をテーマにすべきで、それこそ「厚労省と経産省の連携は?」という今日的なテーマにもなることでもある。

 本筋に戻って。
 で、昨日雑誌記事がやたらのこの手の「太平洋戦争がなんたら」を記事にしてきた背景には、テレビなどが、

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 坂上忍、寄席の無観客営業拒否には「政府の無策に対する『もう冗談じゃねえぞ!』って怒りがある」

 27日放送のフジテレビ系「バイキングMORE」(月~金曜・午前11時55分)では、3度目の緊急事態宣言の中、東京・浅草演芸ホールなどの4つの寄席が無観客営業に応じないことを報じた。
 落語協会などの「寄席は社会生活の維持に必要なもの」という主張について、MCの坂上忍(53)は「中々、僕らの仕事は必要ですか?って言えないことだよね。そういう思いが俺はある方で、僕らの商売はしょせんの商売。付け足しみたいなもので余暇のようなものですよ。余暇に対するニーズみたいなものと思っているので中々、言い切れない部分がある」と、まずコメント。
 その上で落語協会などの見解について、「ここまで言わないと戦えないしね。根っこのところには、これまでの政府の無策に対する『もう冗談じゃねえぞ!』って怒りがあるよね」と続けていた。
 スポーツ報知 4/27(火) 13:41


 尾木氏、コロナ死者1万人超に「無策にもほどが…責任を果たせ」政府に怒り

 尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏(74)が、国内で新型コロナウイルス感染により亡くなった人の数が1万人を超えたことを受け、「一人の命をなんと心得ているのか!政府の責任を果たせ!」と、政府への怒りをあらわにした。
 尾木氏は26日、ブログを更新。「ついに一万人超え?何となんとあの大騒ぎした中国の2倍といいます!一万人もの命が奪われたなんてなんと言うことでしょうか?」と、国内での死者数に言及し、「全てが悪い予想通り 政府は何をしてるのか!?」と、政府の対策に疑問を呈した。
「国民に【お願い】ばかり 政府がやるべきことを何もやらなくてコロナに勝てるわけないでしょう!ワクチン対策のどえらい遅れ 検査のサボタージュ 無策にもほどがあります!!もはや激怒の尾木ママです」と憤り、「一人の命をなんと心得ているのか!政府の責任を果たせ!といいたい!」とつづった。
 日刊スポーツ 4/27(火) 9:43

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 こういう「政府は無策」印象づくりに走れるように「援護射撃」をしようとしているような気がする。

「死者一万人」はショッキングな数字であるが、では政府が何かしていればこの時期日本では死亡者が出なかったのかといえばそんなことはないのだから、こういうところでは冷徹に「超過死亡数」で見ていかなければ。
 そもそも「緊急事態宣言」を出しているのだから「無策」ではないのだが、これらのメディアでは「宣言は政策ではない」ということになっているようでもあるし。

 そしてこういう「無策」連呼が出てくるのは、日本のメディアがあまり記事にしない、

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 EUから1月末以降出荷のコロナワクチン、日本へが最多の5230万回分

(ブルームバーグ):
欧州連合(EU)の新型コロナウイルスワクチン生産能力は世界の接種ペースに追いついており、特に日本向けの出荷が多かったことが分かった。
 EUは1月31日から4月19日までに43カ国向けに1億3610万回分のワクチン輸出を許可した。ブルームバーグが内部文書を確認した。このうち約5230万回分が日本に出荷された。次いで英国向けに1620万回分、カナダ向けが1280万回分だった。ワクチン出荷の文書は21日、ブリュッセルでEU加盟国大使に回覧された。
 EUの接種計画は国によって大きなばらつきがある。マルタでは成人100人に対して67回分が投与されたのに対し、ブルガリアでは同11回分。EU内の平均は同31.6回分となっている。
原題:EU Keeps Global Vaccine Supply Alive Amid Uneven Home Rollout(抜粋)
(c)2021 Bloomberg L.P.
 Bloomberg 4/22(木) 21:40

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 こういう事実があるから、「時間がたつにつれて政府の施策が目に見えてきてしまう」という「焦り」があるのでは。

 まあ、あくまで「私にはそう見える」というところで青沼氏らと立場は変わりはないのだけどね(笑)。


 本日の「かわり」こいのぼり。

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 コロナを飲み込め「白ナマズ」 青空にそよぐ神の使い


(写真、朝日新聞デジタルより。「疫病退散」。白ナマズをイメージした吹き流しが約300匹のこいのぼりにまざって上がる(手前)=2021年4月6日、佐賀市大和町、長沢幹城氏撮影)

 佐賀市大和町の川上峡に、「疫病退散」と書かれた吹き流しがあがった。新型コロナウイルス禍の終息を願い、同市で書道教室を主宰する書家、鬼崎博子さん(48)が筆書きした。
 昨春も吹き流しを企画したが、見物客で「密」になるおそれから見送った。感染予防を意識した「with コロナ」の生活様式が広がる今年、2年越しの願いを掲げた。
 吹き流しは、白ナマズをイメージしてつくった。地元には、人を襲うヘビを、神の使いの白ナマズがひとのみにして救ったという伝説が残る。
「健康第一」「コロナが終わったらゲームセンターに行きたい」。全長5メートル、直径60センチの吹き流しには幼稚園児から高齢者まで教室の生徒130人の寄せ書きのほか、障害者らが描いたアマビエのイラスト、ピンクや赤の絵の具で押した何十もの園児の小さな手形もある。
 朝日新聞デジタル 4/26(月) 16:00

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「疫病退散」で「白なまずのぼり」か。
 私ぐらいの世代ならば、「白なまず」と聞くと逆に皮膚疾患が頭に浮かんでしまう。
「神の使い」か。

「鬼滅の刃」では主人公の痣が「力の証」ような肯定的な方向で使われていたし。
 こういうところから「偏見」が消えていくようになっていけば、いいんだけどなぁ。