お祭り気分はもう終わりに | 偕楽園血圧日記

お祭り気分はもう終わりに

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 山口知事選で立会人「妨害行為」、点検打ち切る

 山口県知事選の宇部市俵田翁記念体育館で行われた同市の開票作業で、開票立会人の点検が長引き、同市選管が「妨害行為にあたる」として点検を途中で打ち切っていたことがわかった。
 確定時刻は予定より約1時間10分遅い30日午前1時40分までずれ込んだ。
 市選管によると、立会人は飯田陣営が選任した男性で、午後9時半から、「計数器が信用できない」などとして、有効票を1枚ずつ点検し始めた。さらに、男性が大声を出して投票用紙を机にたたきつけるなどしたため、市選管は「通常の開票作業が出来なくなる」と判断。点検時間を午前1時半までと男性に通告、飯田陣営から開票作業終了の同意を得て、選挙結果を確定させた。この遅れで、市職員45人の残業代が予定より計約30万円増えたという。
 読売新聞 7月30日(月)14時35分

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 日曜日に行われた山口県知事選挙で、開票時にこんなトラブルがあったらしい。
 これはもう、昨日書いた「権利の主張」どころではない、ただの嫌がらせである。

 他の自治体のことの上に選挙期間なので取り上げなかったが、この飯田氏は大阪市の顧問になる前から太陽光発電の推進を訴えていた、いってみれば「自然エネルギームラ」の人間。
(2011/01/22の記事、文化祭は楽しいよね(笑)) で取り上げた祝島の「自然エネルギー活動」の後押しをしているような人間である。
 つまりは「そっち系」の人間であって、そういうところからやってきた人間がこういうことをしてしまうと、「だから反原発はカルト」といわれてしまうだけ。「反原発」で人々の支持を集めたいのならば、こういう思考停止したあげくに陰謀論に陥って突飛なことをする人間が出ないよう、仲間内でしっかりと「科学的思考のススメ」をしあうべきだろう。

 そんなことをすると「反原発運動の胡散臭さ」に気がつく人間がどんどん出てきてしまうかもしれないけど(笑)。


 さて、その山口県の知事選挙、

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 <山口知事選>自公推薦の山本氏当選 脱原発の飯田氏ら破る

 山口県知事選は29日投開票され、元国土交通審議官の山本繁太郎氏(63)=自民、公明推薦=が、脱原発を掲げる「環境エネルギー政策研究所」所長の飯田哲也氏(53)ら3氏を破り、初当選を果たした。投票率は45.32%(前回37.21%)。
 選挙戦では、飯田氏が山本氏を追い上げた。中国電力(広島市)が同県上関町に予定する上関原発計画の是非が大きな争点だったため、国の原発行政への批判が有権者の間に広がっていることを示唆した。更に、飯田氏が大阪維新の会の橋下徹・大阪市長のブレーンを務めていたことから、既成政党批判も広がっていると言えそうだ
 衆院山口2区の自民党候補から転身した山本氏は、3月に出馬表明し、中央とのパイプを生かした公共事業誘致や産業力の強化を訴えた。告示前1カ月弱の飯田氏の出馬表明で、上関原発計画の是非が争点化されると、山本氏は計画凍結を訴えて防戦。自公両党や100以上の業界団体の組織力をフルに生かして勝利した。
 投票日直前の23日には、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが米軍岩国基地(同県岩国市)に強行陸揚げされ、陣営では既成政党批判が一気に高まることが懸念された。しかし、今期限りでの引退を表明し、山本氏を後継指名した二井関成知事が陸揚げについて国に抗議。自民党も、石原伸晃幹事長ら「大物」を続々山口入りさせて組織固めをして引き締め、最終的に逃げ切る形となった。
 一方、飯田氏は脱既成政党、原発計画撤回を掲げて、山本氏を猛追した。政党や団体に支援を求めず、ボランティア中心の「草の根」選挙を展開。出身地の周南市の票を堅くまとめた。福島原発事故以降、有権者の間に浸透している原発への抵抗感も飯田氏を後押ししたが、出足の遅れなどから届かなかった。
 民主党衆院議員を辞職した高邑勉氏(38)、医師で元県課長の三輪茂之氏(53)は、山本、飯田両氏の間で埋没する形となった。【尾村洋介、佐野格】
 毎日新聞 7月29日(日)23時54分


 安堵の自公、課題は先送り 山口知事選

 山口県知事選で29日、自民、公明両党が推薦する元国土交通審議官、山本繁太郎氏(63)が勝利したことで、両党幹部からは「反原発、反消費税増税、反既成政党という逆風の中の選挙だったが、自公両党への信頼感が表れた結果だ」(自民党の田野瀬良太郎幹事長代行)などと安堵(あんど)の声があがった。
 「有権者は風頼みの選挙に付和雷同せず、真剣に県政のことを考えてくれた。民主党に政権を与えた(前回衆院選の)『うっかり1票、がっかり4年』の結果、どうなったかと考えた有権者もいるだろう」
 自民党の河村建夫選対局長は産経新聞の取材に上機嫌でこう語った。
 安倍晋三元首相も同夜のツイッターで「地道な政策を訴え続けたことが勝利につながった。反原発という主張だけの候補には山口県の明日は託せないという冷静な判断を県民は下した」とコメントした。
 公明党の山口那津男代表は産経新聞の取材に対し「かなり追い詰められるという予測もあったが、県民の冷静な判断の結果が出た」と安堵の表情。その上で「衆院解散を求める声が強い中で、注目された知事選だった。国政への影響も出るだろう」と述べた。
 ただ、争点として注目された原発の是非などエネルギー問題や、米軍岩国基地に搬入された垂直離着陸輸送機MV22オスプレイへの対処など政治課題はいずれも先送りされた格好だ。
 選挙戦では「脱原発」を掲げたNPO代表、飯田哲也氏(53)が橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」でエネルギー分野のアドバイザーを務めていたことから、事実上の「既成政党vs維新」の構図になるともみられ、全国的な注目も集めた。
 自民党閣僚経験者は「山本氏が勝ったことで維新の勢いがどうなっていくか。自民党が信頼を取り戻したとは言い切れない」と述べるにとどめた。
 一方で、みんなの党の渡辺喜美代表は飯田氏が善戦したとして「新しい政治体制の始まりを意味している。次の衆院選の予兆が表れている」と述べた
 産経新聞 7月30日(月)2時44分

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 とりあえずは自公推薦の候補が当選したわけだが(ここで自前の候補が立てられなかった「政権与党」の何と意気地のないことか)、同党の関係者は産経が書くように「安堵」などしている場合ではない。

 マスコミはこの選挙を「反原発派の力を見よ!」としようとして失敗したが、だからといってこの山本氏が「原子力推進」をいっているというわけでもない。この点ではまるきりマスコミの争点はピント外れになっている(同時に一部の近視眼的な「反核派」の思惑も外れた)わけだが、まだできてもいない原子力発電所のことは、これからどうするかを考えていけばいい話。
「維新が維新が」というのも、橋下氏は選挙前にはっきりと「維新とは関係ない。飯田候補の応援はしない」といっていたのだから、これが維新どうこうとするのは無理がある。(「既成政党への反発」というのならば、そんなものは小泉氏が「自民党をぶっ壊す!」と言った時からあったことだ。今頃になって本気でそんなことを心配しているならば、ただのまぬけである)
 それよりも問題なのは、ただ配備前の整備のために陸揚げをしたオスプレイに対して、頓珍漢な反対意見を述べた二井知事の路線をそのまま彼が「引き継ぐ」といっているところだろう。

 マスコミ、特に「反オスプレイ」に熱心なNHKのおかげで、

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 毎日新聞の全国世論調査で、米海兵隊が日本国内の6ルートで垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの低空飛行訓練を計画していることについて「危険を感じる」と答えた人は77%に上り、「感じない」は18%にとどまった。性別でみると、男性の「危険を感じる」は67%にとどまったのに対し、女性は86%に達し、拒否感が強い。
 毎日新聞 7月29日(日)22時56分配信 「<毎日世論調査>オスプレイ訓練『危険』77%」より

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 世間にはこんな意識の定着が見られるが、地方の首長がそれに乗って国の責任でとられるべき政策に反発する風潮が続くのは、日本という国が存続していく上で非常によろしくない。

 毎日新聞は「低空飛行」を持ってきてさらなる「不安煽り」に務めているようだが、低空飛行訓練が危険なのは何もオスプレイに限ったものではない。
「市民団体」というまやかしの看板を掲げた反日左巻きならば低空飛行訓練そのものに反対する。その彼らのいうことに同調してオスプレイだけではなくすべての低空飛行訓練に反対する、また普通の飛行も視野に入れてすべての飛行機械に対して反対の意思を示すというのならば、それはありだろう。
 だが、なんとなく「オスプレイは危険だといわれているから」というだけで彼らに利用される「声」を上げてしまうのは、少し考え直すべきだ。

「危険かどうかといわれれば、飛行機はみんな危険だろう。なぜこの機種だけとんでもない欠陥機であるかのように、数字の寄せ集めまでして騒ぐのか?」。そういうまっとうな声を聞いて、首長が浮つくことなく、左巻き団体の「お祭り」に終わりを告げなければ。
 そうなってようやくオスプレイも含んだ「まともな話」ができるようにもなるのだから。


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 沖縄米軍「非協力なら撤退」=日本の軍事貢献に期待も―外交文書

 外務省は31日、沖縄返還交渉を含む外交記録文書ファイル76冊を、都内の外交史料館で公開した。沖縄返還をめぐっては、日米交渉が具体化する前の1967年3月、マクナマラ米国防長官が訪米中の岸信介元首相に対し、日本がアジアの安全保障に協力する場合、米軍は沖縄に駐留するものの、協力しない場合は「引き揚げる」と言及。また、「日本は将来アジアで、米国に比べ、はるかに大きな役割を果たすべきだ」と述べていたことも明らかになった。
 同長官の発言は、沖縄から米軍撤退の可能性を示しながらも、実際は沖縄の基地使用など、日本の協力を求めるとともに、将来的には地域の安定のため日本の軍事的貢献に期待を示したものだ。
 在米日本大使館の極秘公電によると、67年3月23日、マクナマラ長官は岸氏との会談で「純然たる私見」と断った上で、当時懸案となっていた沖縄返還問題に言及。「日本が米国の基地保有を欲しなくなった日から一日も長くいるべきではない。米国はサンフランシスコやハワイの防衛のためだけなら沖縄にいる必要はない。日本と東南アジアの前進防衛のために沖縄にいる」と説明した。
 その上で、「米国と政治的関係で共同しつつ、軍事面にもこれを及ぼすことに日本が賛成ならば(米軍は)沖縄にとどまるだろうが、そうでなければ引き揚げる」と述べた。
 時事通信 7月31日(火)10時15分

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 まるで狙ったように(苦笑)こんな文書が外務省から公開になったが、その「左巻きを排除してようやく始められる話」というのが、この「安全保障とはどうあるべきか。日米関係をその中でどう将来づけていくか」である。

 その時には、

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 尖閣は日本に属さない有力な証拠を発見と主張=香港紙

 香港紙『文匯報』は17日付で、釣魚島(中国側呼称、日本名:尖閣諸島)問題に詳しい鄭海麟氏から提供された日本の出版物(明治9年=西暦1876年、陸軍参謀局が出版した『大日本全図』)は、釣魚島が日本に属さないことをもっとも有力に証明しうる、日本側の貴重な歴史文献であると伝えた。中国網日本語版(チャイナネット)が報じた。
『文匯報』によると、『大日本全図』と200年前の清朝の文献『海国記』はともに、釣魚島が中国に属するというもっとも有力な証拠を示している。
 鄭氏は1990年代、日本の露天の本屋で『大日本全図』を購入した。このような地図は民間・学界にも存在しないため、これを見つけた当時は驚いたという。鄭氏は、「当時の歴史背景から分析すると、同地図は日本が琉球を併呑した際に作成されたものであるが、釣魚島が琉球諸島に属さないことがはっきり記されている。これは逆に、釣魚島が中国の領土であることを証明している」と指摘した。同地図は日本陸軍参謀局が出版した公式な文献であり、国際法の適用対象となるため、高い歴史的な価値を持つ。
 中国社会科学院の領海問題に詳しい王暁鵬氏は取材に応じた際、「日本陸軍参謀局が作成した『大日本全図』は、公式な文献だ。国際法に基づくと、国家が公表した地図の定める領土については、法的効力を受けることになる」と語った。(編集担当:米原裕子)
 サーチナ 7月18日(水)17時40分

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 相変わらずこんなことをいい、

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 南沙諸島に中国が新レーダー施設、フィリピン当局が確認

偕楽園血圧日記-スービ礁のレーダーサイト
(写真、AFP=時事より。フィリピン政府が公開した、南シナ海の南沙諸島(英語名:スプラトリー諸島、Spratly Islands)で中国が実効支配する渚碧礁(同スービ礁、Subi Reef)に新設されたドーム型レーダー施設の写真(2012年7月17日撮影、同24日提供))

【AFP=時事】フィリピン当局は24日、南シナ海(South China Sea)の南沙諸島(英語名:スプラトリー諸島、Spratly Islands)の渚碧礁(同スービ礁、Subi Reef)に中国が新たに建設したドーム型レーダー施設の写真を公開した。渚碧礁は現在、中国が実効支配しており、はフィリピンが実効支配するパグアサ島 (Pag-asa Island、中国名:中業島)からは北西に約15カイリ(約28キロメートル)離れている。
 またフィリピン政府は同日、駐フィリピン中国大使を召喚し、両国が領有権を争う西沙諸島(英語名:パラセル諸島、Paracel Islands)で中国軍が進める駐屯地建設計画に抗議した。【翻訳編集】 AFPBB News
 AFP=時事 7月26日(木)13時58分

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 こういうことをやっている国の存在も当然考慮に入れて。(ついでに「市民団体」とそういう国との関係も暴いておく必要があるな)


 おまけ。

 それにしても、上で引用したスービ礁のようなことをやって「実効支配する島アル!」とやっておきながら、日本の沖ノ鳥島に「あれは島ではない!」といちゃもんをつけてくるのだから、どこまで中共は厚顔無恥といおうか……きっと「大陸民族」である漢人は、二十一世紀になってもまだ海の地理というのが良く分かっていないのだろう(苦笑)。

 サーチナの記事では香港の新聞が日本が尖閣諸島の領有宣言をする前の地図(尖閣を近代法のもと正式に領土編入したのは1895年のことである)を出してきて「日本も自国領としていなかった」とどこかの半島国家と同じ屁理屈をこねている(しかもその地図がどういう形で記述しているのかが記事が取り上げている彼らの主張の中にない(苦笑))とあるが、

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 明の上奏文「尖閣は琉球」と明記 「明代から領土」中国の主張崩壊

偕楽園血圧日記-明の上奏文
(中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から)

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提 出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。
 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国 史料の存在が明らかになるのは初めて。
 上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。
 石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。
 石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ● 山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きる》と中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの 認識を示していたことも分かった。
 その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』も台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。
 中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。
 石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張に歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。
●=門の中に虫
 産経新聞 7月17日(火)7時55分

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 そのさらに三百年前、清のさらに前の王朝が「尖閣諸島は琉球であり、我が王朝の統治下のものではない」という報告を受けて承認していたというのだから、話にならない。

 結局は「琉球の一部であり無主地であった尖閣諸島は、沖縄を傘下に入れた明治政府の下、近代国際法の手続きに則って正式に日本の領土となった」というだけの話である。
 まあ、それを知っているから、この頃の中国では「沖縄の帰属」まで話を広げて「沖縄は日本ではないし、住んでいる人たちは福建人の子孫」というデマを流しているのだろう。

 この彼らの行動もまた、日本が自分の国の安全保障と国土保全を考える時に忘れてはならないことである。
 日本のマスコミ、特に影響の大きなテレビでは意図的といっていいほど無視していることだが。


 本日のピンセット。

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 超小型銃器の模型を手作り 中国山西省の喬啓凡さん

偕楽園血圧日記-ミニチュア銃器
(写真、新華社より)

【新華社=薛俊】 今年22歳になる山西省運城市の喬啓凡さんは、ここ1年ほどで余暇を利用し、割りばしやブリキ、針金などを材料にしたミニサイズの拳銃、自動小銃、迫撃砲などの模型、50点以上を制作した。どれも細工が細かく、見事な出来だ。
(翻訳 王秋/編集翻訳 恩田有紀)
 毎日中国経済 7月31日(火)14時7分

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 こういう細かな細工ものにかける情熱では、中国人も日本人に負けないものを持っている(笑)。

 しかし、日本でこういうものを作っている人を新聞が取り上げたりしたら、大騒ぎする団体が表れそうだ。
 NHKが海洋堂が高知に作ったミュージアムを取り上げた時も、確か「ワールドタンクミュージアム」には触れなかったよな(笑)。