【演技中にやらないほうが良い努力】
一生懸命、相手のセリフに耳をすまし何かを感じようとする人。
⇒でも耳をすませばすますほど何も感じられない。
一生懸命、自分をさらそうとする人
⇒ 痛々しくて見ていられません。
自分の内側のセリフに夢中な人…
⇒ すいません!今、ココに居ますか?
リラックスが全てと思っている人
⇒ その役の人物は今リラックスしていると思いますか?
やたら大きな感情で押しまくってくる人
⇒ 感情をあらわにすると達成できない「目的」が沢山ありますよ!
・・・みなさんの気持ちはわかります、
そういう習慣を身に着けてしまった
経緯も何となく想像できます。
でも、それ全部やめたほうが良いと思います!
少なくとも演技中にすることでは絶対にないです!
【訓練と実演は違う!】
イチロー選手は毎晩欠かさずに素振りをしていたかもしれません。
でも、それはバッターボックスで昨日の素振りを繰り返すためではないはずです。
ゴッホは懸命にデッサンを習得しました。
でも、素朴なタッチで「ひまわり」を描くためではありませんよね?
せっかくヒットを打ったのに一塁に「うさぎ跳び」で向かったら、
アウトです!
訓練にはそれぞれ、特殊なある一面を鍛える効能を期待されているかもしれませんが、それですべてをまかなえると思われては荷が重いと思います。
もちろん、それらはそのまま実演に使うものではありません。
【〇〇は演技力向上の役に立ちますか?】
時々、「普段、何をしたら演技力向上の役に立ちますか?」という質問を頂きます。
あるいは、「これは役にたちますか?」ともっと具体的な質問もあります。
○○メソッド、○○テクニック、ヨガ、瞑想、アレキサンダーテクニック、○○体操、○○ダンスなどなど…
ピアニストにとってのスケールや画家のデッサン、野球選手の素振りなど日々打ち込む基礎訓練に憧れがあるようです。
俳優だって、その特殊な技芸特有の技術や感覚を磨くために
地味ではあっても毎日打ち込める訓練に集中したいようです。
先の質問への私の答えは…
「すべて演技力向上の役に立ちますよ!」
です。
しかし、条件があります。
それは「演技とは何か?」を心の底から納得している場合です。
そして、「演技とは何か?」が分かれば生活の全てを演技力向上の
機会として役にたたせることも可能です。
しかし、逆に言えば「演技とは何か?」を知らなければ全ての訓練メニューは役に立たないかもしれません。
場合によっては副作用さえあります。
それは最初に挙げた例の通りです
最近、私の出会った例でいうと…
【リラックスして感情を得ようとする矛盾】
例えば、演技中に時々肩をゆする方が…
「何しているのですか?」と聞くと
「リラックスしようとして」という返事。
大事な場面になると弛緩しようとするので
「その身体状態は役の人物が今経験しているはずの状態と違うので、それでは、ここでの役の感情は起きませんよ!」
と伝えると
「普段の自分のようにいられれば感情は起きやすいと教わりました」と…。
「しかし、普段のあなたはむしろ、感情を感じないように、あるいは気づかないように、感情を受け取るセンサーの感度を小さめに調整していませんか?」と聞くと、
「そうですね…」の答え。
文字通り普段の自分でいて役の感情が沸き起こることなんてありません。せいぜい、「素」のあなたが舞台にいて「不自然な感じ」を醸し出すだけです。
「自然でありたいという欲求ほど人を不自然にするものはない」
by ロシュフコー
そもそも、物語の中で普段の自分で居ようとするなんて…
「いろいろな役の人生を生きたい!」
と考えて俳優になったあなたの想いに矛盾してませんか?
【セリフを初めて聞いたように聞こうとする矛盾】
あるいは、セリフを聞くたびに驚きの表情をする方がいるので
「それ何しているんですか?」と聞くと
「セリフにはまず驚けと教わりました」
…「まじですか?」と私が驚きました(;^_^A
理由を聞くと
「初めて聞く言葉なのだから驚きがあるはず。しかし、セリフを知ってしまっている俳優がまるで初めて聞くかのように扱わなければならないので必ず驚けと教わりました…」
これは何かの間違いであってほしいのですが…
結構、名の知れた先生に教わったらしいので・・・・
生徒さんの聞き間違いか、勘違いだろうと願っています。。。
が、これが結構、身体に染みついてしまっているので、
間違った演技指導恐るべしと感じています。
【自分の過去を思い出そうとする矛盾】
または、一生懸命何かを思い出そうとしている方は
「今、元カレのことを思い出して怒りと悲しみを感じているところです」と…
で、「そうするとどうなるのですか?」と聞くと
「場合によっては、すごく悲しくなって涙がでます…でも今は集中力が足りないのかうまくいきません…」
「その場合によっては…というのは、家で一人でじっくりとその想像に向き合っているという条件がいるのではないですか?」
と聞くと
「そうです!家ではうまくいきます!」との答え。
「今、あなたがしていることは、ある感情を感じたいという「俳優の目的」を達成しようとしています。集中しようとすればするほど内向的で、そこに存在していませんし、そもそも、役の人物のする行動ではありませんので役の人物として存在てきてませんよ!」と。
「今この人物は「泣きたいのですか?」それとも「自分を裏切った相手に痛い目に合わせようとしている」のか?どちらですか?」
と聞くと。
「痛みを与えようとしているはずです」
「その時に過去の嫌なことをワザワザ思い出したいですか?」
「思い出したくはないです!」
「では、相手に痛みを与えることに集中しましょう!」
私は続けます…
「でも、相手を徹底的に痛めつけるためには、あなたが目の前の人物から受けた傷を思い知らせることが最も有効な武器になります。その武器を手にしようとしたその時に切れ味鋭い武器の刃に触れてその惨めだった状態を改めて思い出されてしまうかもしれません。」
「そして、相手を傷つけようとしている身体の状態で、かつての傷を見せつけようとする行動にあなたの無意識が
「…私はかつて目の前の人物に屈辱を受けたのかも…」
と信じてしまうので泣きたくもないのに涙が出て来てしまうのです。」
感情をつかさどっている無意識がもっとも信じてしまうのが「行動」ですから。
「これが役の人物が経験しているはずの世界です」
「涙が出てくるのは単に状況です。あくまでも役の人物の行動は傷つけたい。」です。
「二つは分けて処理しないと、ただ泣きたい人(俳優)がそこに居て泣くための努力をしている。上手に泣けたところでプラン通りに演技できてよかったね…という感想を観客に抱かせるだけですよ。」
「過去を使っても良いですが、触れただけで皮膚が裂け血がにじみ出るくらいに研ぎ澄ましていなければ実演では役に立たないです」
「ぼんやりとした過去の思い出はなどはむしろ足かせになるだけです」
「役の人物になるために自分の過去を思い出さなければならないなんて、結局、自分の人生の裏返ししか演じられない、「役の人生を生きる」とは真逆のアプローチだと思いませんか?」
「あなたはあなたの過去しか演じられないのでしょうか?」
「どんな役の人物も必ずあなた経験の範囲に収まるスケールが小さい人物なのでしょうか?」と聞くと
「ですね…」との答え。
【演技教師を要請する場所がない】
本で読んだ知識を深く理解しないまま
教える人がいるかもしれません。
勘違いしてしまうこともあるかもしれません。
いつでも、正しいなんて誰にも無理です。
スタニスラフスキーもしょっちゅう間違っていました。
しかし、「演技とは何か?」を知っていればいつかは気づけたはずです。
これ役に立ってないな、むしろ邪魔だな!と…
教える側も教わる側も、ある訓練メニューを教えることイコール
演技を教えている、のとは違うことを改めて見つめ直さなければなりません。
○○メソッドとか○○システムとかいろいろありますが目指しているところは一つのはずです。
全ては根幹を太くし豊かな実を実らせるための枝葉末節です。
どのシステムでもメソッドでもそれのおかげで根幹が太くなっていくのに貢献しているかどうかを検証してそのテクニックの使用方法や有効性を見守り適宜調整しなおす必要があります。
でも、繰り返しになりますが、これらの間違いはとりわけ日本の環境では致し方ないです。
私の生徒も俳優でありかつ演技教師をしていたりする方が多いです。
で、打ち明けてくれます。「正直、よくわからないまま教えてきているんですよね…」と
日本の演技教育の場は本当に貧弱です。
本を読んだだけ、経験だけが頼り、短期の海外ワークショップなどの参加経験はあるが…という教師がほとんどのようです。
日本には演技について総合的な学びを長期にわたってじっくりと得られる場所が多くありません。
海外留学も今では普通になりましたが、私のニューヨークの生徒は本場のレッスンを受けながらも私とのzoomレッスンを受講する理由を語ってくれました。
「かなり英語はできるつもりなのですが(10年以上滞在、現地でマスコミの仕事をしている)
やはり母国語ではないので演技クラスは大好きなのですが細やかなニュアンスまでは中々かぎ分けられません…とのこと。)数年単位でニューヨークで演技訓練をしてる方の感想です。
やはり、言語行動の芸術ですので、母国語レベルにまで使いこなせるようにならないと伝えたい細やかなニュアンスには気づけないそうです。また、もやもやした想いを的確な質問にすることにとてつもない困難さを感じるそうです。
初回のセッション時には「演技がすごく面白いことが分かりました!」とのことでした。
「いままでセンソリーという訓練が好きだったのですが、これをいかに活用するのかピンときていませんでした!」とのこと…
【半年で演技とは何か?を納得できるか?】
12月23日から始まるプログラムは永遠に進化し続ける教材になっています。※「みん☆スタ」(みんなの演技力を劇的に向上させるスタニスラフスキーシステムの本当の使い方オンラインプログラム」
質問に答え内容を更新し続けるからです。
もし、役にたたない訓練を私が紹介していたり、応用を間違えたりしていたらいつでも修正できるようにです。
これはスタニスラフスキーの態度を見習うからです。
彼は一度もシステムの完成を見ていません。
永遠にシステムを成長させ続けるつもりだったからです。
原稿を出版社に出した途端、その原稿内容を修正するための執筆にとりかかっていたそうです。もし、現代に生きていたら毎日ブログを更新していただろうと思います。
「昨日までは感情の記憶を推していたが、考えを改めたいと思います。・・・・」
「行動を内的と外的に分けてはいたがその必要がないと感じました…」「第4の壁はいらないです」
など・・・
私は短期ワークショップ(半年ほど)では限界を感じていました。
いつも、同じことを最初から繰り返さなければならないクラスやワークショップ。
その時は感動してくれても、素晴らしい演技を披露してくれても、
その後どのように活用しているのか、勘違いされていないのか、
道に迷われてはいないのか分かりません。
少なくともロシア演劇大学みたいに4年ぐらいはじっくりと面倒見れたら理想です。(ロシアでは担当教授が4年間ずっと持ち上がり)
今のところは到底無理ですのでこのプログラムを考案しました。
もちろん、独修のための教材です。
限界だらけだと思います。
ただし、間接的にとはいえ一緒に理想を目指す仲間たちと切磋琢磨しながら基礎訓練に励みその効果的な活用方法やより有効な新メニューを考案しあったり共有しあえる場を創ることは可能です。
「本当にゼロから、基礎からやりますよ」とうたっているのですが、
今のところ参加者はプロの俳優、演技教師が割合としては最も多いです。
中にはおそらく日本で最も権威のある俳優賞受賞の方やある国立劇場芸術監督もいらっしゃいますので光栄やら恐れ多いやらですが…
プロも素人も同じ言葉で演技を語り合える場を構築するための第一歩です。
とても楽しみにしております。
皆様も本気で演技を学びたい!あるいは本気で演技を教えたい!
のであればぜひ「みん☆スタ」へのご参加を検討してみてください(^▽^)/
「みん☆スタ」が世界で一番分かりやすいスタニスラフスキーシステム演技教材になれるかもしれない秘密!