波は突然やってくる
岩手の陸前高田にある海の堤防台を歩いているときだった。
高く高く築かれた堤防台(12.5m)は、海と草原を真っ二つに切り分けていた。
かつて堤防を超えていった津波によって、建物が流され、現在では見渡す限り草原と山が広がっている。
砂浜に降りてみると、高校生くらいだろうか?少年たちが海で楽しそうに騒いでいる。
・・・青春だ。彼らはこの地で命のバトンをつなぎ、笑顔を取り戻しているのだ。
今、目の前にある海はとても穏やかに波を打っている。
照り輝く太陽の光を反射させながら、まるで何事もなかったかのように。
まるでずっとそうであったかのように。
海を前に、私はどうしても考えてしまうのだ。
なぜ彼らが犠牲にならなければならなかったのか、なぜ堤防を超えた津波が来たのか、、、と。
コロナのときもそうだった。
誰のせいでもない。
ただ「それが起きてしまった」だけのことが、多くの生命を傷つけ、奪ってしまった。
私はそれを「運命」と呼ぶ。
「運命」は残酷だ。
時に私たちの幸運の女神にもなるし、時に非情にもなる。
いつくるか、何がくるか、どこにくるか何にも分からない。
それが残酷なのだ。
ただ、「運命」と表現するには少し違うかもしれない。
なぜなら、「運命」は変えられるものでもあると思うからだ。
他にもっとよい表現があったらぜひ教えてほしい。