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↓『鋼のメンタル』百田尚樹著、新潮新書、2016)より引用(05)
↓『鋼のメンタル』百田尚樹著、新潮新書、2016)より引用(05)
よく一流会社でリストラしたい社員を会社がいじめるという話を聞きます。
部屋の端の窓際に机を置かれたり、誰もいない部屋でまったく意味のない仕事をやらせたり、あるいは一日中便所掃除をやらせたりといったものです。
そういう屈辱に耐えかねて、多くの人が職場を去っていくようですが、私に言わせれば、精神力が弱すぎます。
(中略)
多くの人はプライドを傷つけられて退職するようです。
プライドってなんでしょう。
同期社員が小便をしている横で便器を洗うのはたしかに楽しくはありません。
でもどうということはありません。
トイレ掃除を本職にしている人は世の中に山のようにいるのです。
彼らはもっと安い給料にもかかわらず、黙々と仕事をしています。
要するにそれに耐えられないというのは、実に薄っぺらいプライドなのです。
プライドってなんでしょう。
同期社員が小便をしている横で便器を洗うのはたしかに楽しくはありません。
でもどうということはありません。
トイレ掃除を本職にしている人は世の中に山のようにいるのです。
彼らはもっと安い給料にもかかわらず、黙々と仕事をしています。
要するにそれに耐えられないというのは、実に薄っぺらいプライドなのです。
↑(引用ここまで)
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今回の話のポイントは『トイレ掃除を本職にしている人は世の中に山のようにいる』というところです。
「トイレ掃除なんてしてられるか!」と退職する人は、それを生業にしている人たちに対して、非常に失礼ですよね。
「仕事上の失敗の責任を取らされて、左遷」みたいな話も同様です。
その、いわゆる「左遷先」で普通に毎日働いている人たちもいるにもかかわらず、「こんなところで働くのは耐えられない!」なんて面と向かっては言えませんよね。だって彼らにとってはそこで働くことが「普通」「あたりまえ」なのですから。
その、いわゆる「左遷先」で普通に毎日働いている人たちもいるにもかかわらず、「こんなところで働くのは耐えられない!」なんて面と向かっては言えませんよね。だって彼らにとってはそこで働くことが「普通」「あたりまえ」なのですから。
「いじめ」に関しても同じです。
私も高校時代に部活の仲間から無視されたり、試合中にもかかわらず仲間からヤジられたり、そこそこ酷い目に遭ってきましたが(笑)、中学校でもっと残酷な「いじめ」を目の当たりにしてきたので、「無視やヤジ程度なら、そこまで酷くもないかな」と、そりゃ毎日楽しくはありませんが、あまり気にせず過ごすことができていました。
私も高校時代に部活の仲間から無視されたり、試合中にもかかわらず仲間からヤジられたり、そこそこ酷い目に遭ってきましたが(笑)、中学校でもっと残酷な「いじめ」を目の当たりにしてきたので、「無視やヤジ程度なら、そこまで酷くもないかな」と、そりゃ毎日楽しくはありませんが、あまり気にせず過ごすことができていました。
ちなみに私が通っていた中学校では、ゴミを食べさせられたり、毎日肩パン(痣ができるほどの肩にパンチ)を食らったり、持ち物を隠されたり、机を廊下に出されたり…もちろん私自身もターゲットになったこともありましたし、それでも当時は学校に来なくなるクラスメイトもいませんでした。
…それに比べれば、「無視」くらいで、ねえ(笑)。
そんな程度で「つらい」「逃げ出したい」と口にするなんて、当時の私を含む中学校のクラスメイトたちにも失礼ですよ、本当に。
そんな程度で「つらい」「逃げ出したい」と口にするなんて、当時の私を含む中学校のクラスメイトたちにも失礼ですよ、本当に。
つまるところ、私たちは日々過ごすうちに、「あたりまえ」「幸せ(不幸)と感じる」ハードルを上げてしまいがちで、そのハードルを下回る出来事があると、途端に「不幸」と感じてしまう。…勝手な生き物です。
好き嫌いを言ってご飯を残す子どもに「世の中には、満足にご飯も食べられない子供たちがいるんだぞ…」と説教するなんて、もはや言い古された台詞なのかもしれませんが、「今の”環境”に不満をもらすなんて、その”環境”で普通に暮らしている人たちに失礼だ」という思考は、自分を見失わない、「足るを知る」生き方をするための大原則のように思えてくるのです。