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↓『鋼のメンタル』百田尚樹著、新潮新書、2016)より引用(03)
↓『鋼のメンタル』百田尚樹著、新潮新書、2016)より引用(03)
みんなから「面白い奴」「尊敬できる奴」と思われるのは、どちらかと言えば、ふだんから言いたいことをずけずけ言っているタイプの人間なのです。
たとえ少々失礼なことを口にしたとしても、周囲の人間はたいして気にはしないものです。
いやむしろそうした開けっぴろげな性格の方が、かえって好かれるところもあります。
↑(引用ここまで)
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松本人志氏が以前、「お笑い視力」という造語で「笑い」について話をしていたことがありました。
誰もが手元で同じように見える近さの、誰もが「そりゃそうだろう」と言うであろう、「当たり障りのない」言動は、おもしろくともなんともない。
逆に、ほとんどの人から見えない遠さの、みんなが「引いてしまう」ほどの言動は、「失笑」を買ってしまう。
逆に、ほとんどの人から見えない遠さの、みんなが「引いてしまう」ほどの言動は、「失笑」を買ってしまう。
でも、近くもなく、遠すぎもしない、全員が見えるか見えないかギリギリの距離の、一瞬「ん? なんだそれは」とアタマで想像してみて思わずふきだしてしまうような言動が、「笑い」を生むのだと。
ダウンタウンがいわゆる「冠番組」を持ち始めた頃、誰もがビビってしまうような芸能界の大御所にいきなりタメ口をきいたり、アタマをひっぱたいてツッコんだりして「笑い」を生んでいたのは、その最たるものでしょう。
ふつうだったら、大御所とは誰もが「当たり障りなく」敬語を使って話します。
相手が激怒するほどの「失礼」では、視聴者が「引いてしまう」でしょう。
そこで、相手が怒るか怒らないかギリギリのところの「失礼」や「裏切り」をやってみせると、「笑い」が起こる、という話です。
相手が激怒するほどの「失礼」では、視聴者が「引いてしまう」でしょう。
そこで、相手が怒るか怒らないかギリギリのところの「失礼」や「裏切り」をやってみせると、「笑い」が起こる、という話です。
まあ、私たち一般人が、いきなり他人のアタマをひっぱたくわけにはいきませんが(笑)、ふだんの会話ややりとりで、ある種ギリギリの「失礼」「裏切り」「今ここで普通そんなことしないでしょ」が、「笑い」や「好感」、「あいつ面白い奴だな」を生み、ひいては円滑な、素敵な人間関係を作っていくと思うのです。
しかし、それをしようとしない人たちの、なんと多いことでしょう!
上司や取引先の人には、「失礼」のないように、いつだって敬語。当たり障りのない会話。
職場の会議やふだんの人間関係で、ちょっと思うところがあっても、波風が立たないように黙っている。
…いわゆる「おもんない奴」、「お笑い視力」で言えば、「近すぎ」です。
百田氏も言うような、ずけずけとものを言える「おもろい奴」「痛快な人間」でありたいものですが、一般ウケを狙いすぎれば、それは「近すぎる」し、まるで空気を読まずに暴言を吐くだけでは、それは「遠すぎ」ます。
そんな「お笑い視力」というバランス感覚を大事にしながら他人と対峙し続け、愛想を振りまいて歩きたい、と思いつつも、そんな「配慮」などまるでない、自分本位のコミュニケーションをする人の多さに苦言を呈したいと思い、今回こう書きました。