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↓『鋼のメンタル』百田尚樹著、新潮新書、2016)より引用(02)
 

自分にとって大切な人なら、大いに配慮すべきです。
でも、自分にとってまったくどうでもいい人に対してまで神経を遣って生きるというのは馬鹿馬鹿しい限りです。
 
しかも皮肉なことに、評判ばかり気にしていて言いたいことを我慢している人が、周囲の人に好かれているということはあまりないのです。
その反対に、周囲の人から軽んじられるというか、取るに足りない人物と思われていることの方が多いのです。
さんざん気を遣って、これでは何のために苦労しているのかわけがわかりません。
 

↑(引用ここまで)
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百田氏も言う『自分にとってまったくどうでもいい人に対してまで神経を遣って生きる』タイプの人は、意外に多いように思います。
 
たとえば、好きでもない異性にしつこく誘われて、なかなか断れない人。
「どうでもいい」相手なんだから、適当にあしらえばいいじゃないですか。そいつがフラれて傷つこうが、知ったこっちゃない。
 
でも、そんな人からも「嫌われたくない」のか、相手を傷つけることに気後れするのか、はっきり断ることもできず、ズルズルと連絡をとってしまっていたりする。…そんな人、けっこういますよね。特に女性。
 
自分の身の回りの人間関係も粗選びできずに、悩み、逆に近しい人たちに気を遣わせてしまうなんて、ガキか! …とツッコみたくなることしきりです。
 
自分にとって誰が大切か、誰に多く時間と労力を割くのか、優先順位を決められないような大人の皮をかぶった「ガキ」は、結局自分かわいさというか、「他人のため」と言いながら、結局は自分のことしか見えていない「迷惑者」だと思うのです。 …言いすぎですかね?(笑)
 
口を開けば、職場やらの人間関係の愚痴ばかりの奴然り。
 
自分の人を見る目を棚に上げて「男運がない」みたいなことを口にする恥知らず然り。
 
そういう『面白くない』「付き合いたくない」輩に苦言を呈しつつも、「じゃあ、オマエ自身は人間関係の粗選びが100%できているとでも?」と自問しては我が行いを振り返るのでした。。