先日、『グサッとアカデミア』というテレビ番組で、予備校講師の林修氏が「仕事」について話をしていました。

世にある「仕事」を「やりたいし、できる」「やりたくないけど、できる」「やりたいけど、できない」「やりたくないし、できない」の4つに分類したとき、みんな「やりたい」ところを目指すけども、「やりたくないけど、できる」ところを目指したほうがいいのではないか、という話でした。

実際、林氏も「やりたいけど、できない」作家を目指していたけども、「やりたくないけど、できる」予備校講師に落ち着いた、とも言っていました。

彼の言うとおり、「自分が何気なくできてしまうこと」で、実は「他人が苦労してやっとできること」、またその逆のもけっこうあると思うんです。そして、「何気なくできてしまう」奴には、その分野ではどうやっても敵わない、というのも理解できます。

だとしたら、「やりたいこと」に固執するよりも、「何気なくできてしまうこと」を「仕事」にして、「承認欲求」を満たしながら暮らしたほうが幸せではないか、と。


私は、子どもや若者に「夢を持て」だとか「やりたいことを仕事に」だとか言う昨今の世情にだいぶ違和感を感じていて、「てめえがやりたい云々より、まずオマエが社会に合わせろよ。分を弁(わきま)えろ」と言いたくなることは多いです。

それは、子どもや若者自身にというより、周りの大人たちに問題があるような気がします。

ガキには夢なんぞを持たせる前に、「分を弁える」ことだったり、「世の中のほうに自分を合わせる」よう鍛えてやることだったり、与えるべき「負荷」はたくさんあるはずですが、それを実行できている大人は多くないと思います。

「やりたい」「やりたくない」なんて個人的な趣向は、プライベートで個々に勝手に満たしていればいい欲求なのであって、「できる」「できない」という「社会(大人たち)からの要求に応えられるかどうか」だけを考えて「仕事」に臨めよ、甘ったれるな。

…そんなまっとうな指摘を子どもや若者にしてやれる大人がもっといてもいいのになあと思い、今回こう書きました。