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↓『日本人改造論』ビートたけし著、角川新書、2014)より引用(11)


昔のじいさんは「バカヤロー、若いもんなんかに面倒見てもらわないよ。てめえの命はてめえで始末つけるんだ」って言ったよ。
今、これだけさ、老人福祉、老人福祉って大騒ぎしてるんだから、だれか一人ぐらいさ、「お前らの世話にはならない。厄介者扱いされたくない。自分の生活は自分でやる。お前らの援助なんかいらない」ってタンカ切らないかね。
昔はそういうじいさんがいっぱいいたのに、いないんだね、今は。
気が弱くなっちゃったんだ。


↑(引用ここまで)
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老人でも、変にプライドの高い奴は多いかもしれませんが、たとえやせ我慢でも、『お前らの世話にはならない』とタンカを切って、実行できる人は少ないように思います。それは、老人の話に限らず、仕事でも、育児でも。

たとえば、私の職場で「若者を鍛えるために、朝1時間早く来させる」ことが推奨されているのですが、私の感覚では「若者を朝早く来させると言うのなら、おまえらも来いよ。来て指導してやれよ」と思っています。

だから、私は同僚の間でも、朝早く来る若者にもそれを断言しています。「若者を来させているんだから、私も必ず朝1時間早く出勤する」と。

早朝に子どもたちを叩き起し、飯を食わせ、着替えさせ、保育園によこしてから毎朝1時間早く出勤するのは確かにキツいですが、そこはタンカを切った手前、意地になって数年来続けています。

そして、若者に来いと言っておきながら、自分はのうのうと定時に出勤するおっさんやおばはんを見ては、「それぞれ家庭の事情やらあるのかも知れないが、情けないな。先輩ならタンカ切ってみせろよ」とも思っています。口には出しませんが(笑)。


家事や育児に関しても一緒です。
私は、いろいろなところで「どうせ”育児”に関わるなら、炊事・洗濯・掃除・躾やらの一切合財をやってやる!」とタンカを切ってしまっていますんで(笑)、基本「シングルファーザーだったらこう動く」というのを前提に、家事や育児などの雑務を日々こなしています。

家事も育児も、「誰がやってくれるわけでもない」と思って行動していますので、「○○してくれない」「もっと○○してほしい」なんていう依存的な考え方にもなりませんし、仕事の忙しい妻がちょっとやってくれたことに「有難い」と思えます。

変に「期待する」から「腹が立つ」ことが多くなるものですよね。
島田紳助氏も言っていました。子どもたちや妻に、「愛しているから、期待しない」と。


『お前らの世話にはならない』とタンカを切る、なんて聞くと、孤立主義の寂しい物言いのように聞こえてしまうかもしれませんが、「きっぷのよさ」「あそこまでタンカを切るなんて、天晴(あっぱれ)だ」と周囲に思わしめる「頑固オヤジ」があまりに少ないと思い、微力ながらも実践して歩いている次第です。