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↓『日本人改造論』ビートたけし著、角川新書、2014)より引用(05)
子供がなんかしちゃったら、はっきり親のせいじゃないって言いきらないといけないね。自分がどんなに悪い親父でも。
今はさ、何か起きると、すぐ本人じゃないとこに責任もっていくでしょ。
子供が悪いんじゃない、そんな子に育てた親が悪いんだとか。
じゃあ、ヤクザの子供はどうするんだっていうんだよ。
父親はね、いろんなパターンはあっていいけど、子供の自主性にまかせないといけないよね。
子供がどうなるかってのは子供の責任なんだから。狼少年じゃないんだから。
これだけ世の中が発達して、いろんなマスコミがあって、頭に入るもの、目に入るもの、いっぱいあるのに、父親だけの責任で子供が歪んじゃうなんてことないよ。
↑(引用ここまで)
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私は日ごろから、とくに巷の母親どもが「子どもに手をかけすぎ」だと言い続けています。
子どもにばかり注目していると、ちょっとした子どもの「失敗」が目につきます。大人の目から「あ、失敗するな」と簡単に予想がつきます。
そうすると、ついついその「失敗」を大人がフォローしてあげちゃったり、後始末を親がやってあげちゃったり、「転んじゃうよ!」「ほら、こぼすよ!」なんて「失敗」の未然防止をしてあげちゃったりするものですよね。
大変危険です。
まず、こぼしたら「こぼしちゃいました」と報告する姿勢が身に付きませんし、失敗したらしたで「自分でやったことは自分で後始末をする」習慣が身に付きません。事前に声かけなんてしてやれば、なおさらです。
失敗したら、そいつから報告があるまでじっと待つ。なかなか言い出さないようだったら「なんて言えばいい?」とヒントを与えてやる。
報告が済んでも、またそいつが拭いたり片づけたりするまでじっと待つ。親が後始末してやればそりゃ早いのですが、「自分でやらなきゃ誰もやってくれない」と意識させるよう仕向けます。
もちろん「あ、こぼすな」と思っても、じっと待ちます。そいつ自身が自分の失敗傾向を学習するチャンスを奪わないよう、できるだけ見ないようにします。
「育児」の目的が、「そいつが精神的にも経済的にも”自立”して外へ出ていくこと」とするならば、こういった「ガキに注目しすぎない」「待つ」姿勢は当然のことだと思うのですが、これができている親(とくに母親)は少ないように思います。
だから、子ども以外のところに積極的に目を向けましょうよ。
大人が自分自身のことや友人たちとの交流に目を多く向けていれば、先述したシーンの多くを「見逃す」ことができます。
「見逃した」結果、気付いたら子どもが食べこぼしをしていたり、お皿を割ってしまっていたり、部屋がめちゃくちゃ散らかっていたりしてビックリしますが(笑)、「事後報告」「自分で後始末」「自分のミスの傾向を知る」チャンスもそこらじゅうに散らばっています。
少なくとも、親が事前に声かけをして「学習のチャンスを奪う」ことはなくなりますよね。
大丈夫ですよ。
たけし氏も指摘するように、『これだけ世の中が発達して、いろんなマスコミがあって、頭に入るもの、目に入るもの、いっぱいあるのに、父親だけの責任で子供が歪んじゃうなんてことない』ですから。
母親ひとり程度の影響力で「そいつの性格が決まる」なんて、おこがましいです。
むしろ、保育園や学校の先生、そいつの友人たちに多く影響を受けて「そいつ自身」が形作られていくほうが自然な流れではないでしょうか?
おそらく、多くの母親たちも、そうして育ってきているはずですよね。
「母親だけの影響を色濃く受けてきた」子どもなんて、なんだか怖いですし(笑)。
「親」なんて、確かに多く子どもに多く関わりはしますが、子どもにとっては選択肢のひとつにすぎない。
そう思えば、家庭から「ほら、だから言ったでしょ!」なんて金切り声も多少減るんじゃないですかね?
↓『日本人改造論』ビートたけし著、角川新書、2014)より引用(05)
子供がなんかしちゃったら、はっきり親のせいじゃないって言いきらないといけないね。自分がどんなに悪い親父でも。
今はさ、何か起きると、すぐ本人じゃないとこに責任もっていくでしょ。
子供が悪いんじゃない、そんな子に育てた親が悪いんだとか。
じゃあ、ヤクザの子供はどうするんだっていうんだよ。
父親はね、いろんなパターンはあっていいけど、子供の自主性にまかせないといけないよね。
子供がどうなるかってのは子供の責任なんだから。狼少年じゃないんだから。
これだけ世の中が発達して、いろんなマスコミがあって、頭に入るもの、目に入るもの、いっぱいあるのに、父親だけの責任で子供が歪んじゃうなんてことないよ。
↑(引用ここまで)
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私は日ごろから、とくに巷の母親どもが「子どもに手をかけすぎ」だと言い続けています。
子どもにばかり注目していると、ちょっとした子どもの「失敗」が目につきます。大人の目から「あ、失敗するな」と簡単に予想がつきます。
そうすると、ついついその「失敗」を大人がフォローしてあげちゃったり、後始末を親がやってあげちゃったり、「転んじゃうよ!」「ほら、こぼすよ!」なんて「失敗」の未然防止をしてあげちゃったりするものですよね。
大変危険です。
まず、こぼしたら「こぼしちゃいました」と報告する姿勢が身に付きませんし、失敗したらしたで「自分でやったことは自分で後始末をする」習慣が身に付きません。事前に声かけなんてしてやれば、なおさらです。
失敗したら、そいつから報告があるまでじっと待つ。なかなか言い出さないようだったら「なんて言えばいい?」とヒントを与えてやる。
報告が済んでも、またそいつが拭いたり片づけたりするまでじっと待つ。親が後始末してやればそりゃ早いのですが、「自分でやらなきゃ誰もやってくれない」と意識させるよう仕向けます。
もちろん「あ、こぼすな」と思っても、じっと待ちます。そいつ自身が自分の失敗傾向を学習するチャンスを奪わないよう、できるだけ見ないようにします。
「育児」の目的が、「そいつが精神的にも経済的にも”自立”して外へ出ていくこと」とするならば、こういった「ガキに注目しすぎない」「待つ」姿勢は当然のことだと思うのですが、これができている親(とくに母親)は少ないように思います。
だから、子ども以外のところに積極的に目を向けましょうよ。
大人が自分自身のことや友人たちとの交流に目を多く向けていれば、先述したシーンの多くを「見逃す」ことができます。
「見逃した」結果、気付いたら子どもが食べこぼしをしていたり、お皿を割ってしまっていたり、部屋がめちゃくちゃ散らかっていたりしてビックリしますが(笑)、「事後報告」「自分で後始末」「自分のミスの傾向を知る」チャンスもそこらじゅうに散らばっています。
少なくとも、親が事前に声かけをして「学習のチャンスを奪う」ことはなくなりますよね。
大丈夫ですよ。
たけし氏も指摘するように、『これだけ世の中が発達して、いろんなマスコミがあって、頭に入るもの、目に入るもの、いっぱいあるのに、父親だけの責任で子供が歪んじゃうなんてことない』ですから。
母親ひとり程度の影響力で「そいつの性格が決まる」なんて、おこがましいです。
むしろ、保育園や学校の先生、そいつの友人たちに多く影響を受けて「そいつ自身」が形作られていくほうが自然な流れではないでしょうか?
おそらく、多くの母親たちも、そうして育ってきているはずですよね。
「母親だけの影響を色濃く受けてきた」子どもなんて、なんだか怖いですし(笑)。
「親」なんて、確かに多く子どもに多く関わりはしますが、子どもにとっては選択肢のひとつにすぎない。
そう思えば、家庭から「ほら、だから言ったでしょ!」なんて金切り声も多少減るんじゃないですかね?