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↓『無頼のススメ』伊集院静著、新潮新書、2015)より引用(07)
誰でも最初は生まれ育った家庭で――人によっては養護施設だったりするかもしれないが――人間はこのように振舞うべきだという基準を、親によって目の前に置かれます。
しかし、いざ家から出て学校という集団の中に行くと、まずはいじめに出会います。
程度の差こそあるでしょうが、平然と他人をいじめることができるのが子供の怖さで、それは本来人間が持っている怖さでもある。
その意味では、現実の人間というのはこうあるべきだと教えられる基準からしばしば外れるものだ、という事実を最初に知らしめるものです。
↑(引用ここまで)
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学校や家庭で子どもたちに教えられることは、しょせんは「建前」「教科書通り」にすぎない。そう感じることは多いです。
「他人に迷惑をかけてはいけません」。
「時間を守りましょう」。
「ルールや約束ごとを守りましょう」。
どれも、社会生活を営むうえでの「基本」には違いないのですが、伊集院氏も言うように、ひとたび外に飛び出すと、そんな「建前」「教科書通り」が通用しない人たちや、むしろ真逆の「暗黙の了解」「その業界での常識」で世の中はあふれかえっていますよね。
「自分さえよければいい」と本気で思っているおっさんやおばはんはごまんといますし、他人に迷惑をかけ、陰口を言い、弱い者をいじめ、時間やルールを守らないでいても、なぜか周囲から優遇されている人もいたりします。
まあ、人間が複数人集まれば、どんな集団でも、その中で人間関係のパワーバランスが生まれますし、「こいつは自分より下だ」と思えばいじめ、「この人は自分より上だ」と思えば従うようになるのが普通だとは思います。
それこそ「スクールカースト」ではないですが、その集団における自分のポジションがだいたいわかってくれば、それ相応の「処世術」を自分なりに構築していくのでしょうが、小・中学校にあがった子どもだけでなく、新卒で就職した学生でさえも、一度の「いじめ」に面食らってしまって大きな精神的ダメージを負う、という話は後を絶ちません。
家庭や学校で教えられることは、しょせんは「基本」。そこから逸脱したことも、結構多い。子どもはいじめ、いじめられるもの。
…そんなふうに思って、子どもや若者をひとり立ちさせてやる姿勢こそが、我々大人の側に必要なのかもしれません。
