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↓『ヒンシュクの達人』ビートたけし著、小学館新書、2013)より引用(07)


だけどコンビニ弁当だとか牛丼なんて、さも貧乏の象徴のように言われるけど、もしオイラがガキの頃にこんな食い物を見てたら、狂喜乱舞してただろうね。
もう目を輝かせて貪っちゃう。
「おかずがたくさんあるよ!」「こんなにいっぱい肉食っていいのかよ!」ってさ。
昔は晩飯といえば、おかず一品に味噌汁だけが当たり前だったわけだからさ。


だけどさ、よくよく考えりゃその頃には冷凍食品なんて便利なものはないからおかずは全部手作りだし、味噌汁だってインスタントもないから、イチから出汁をとっていたわけでさ。
白いメシだって、毎回釜で炊きたてのものを食っていたわけだよな。
そう考えると、はたして今と昔とどっちが贅沢なのか、本当の所でわからなくなっちまう。
要は「無い物ねだり」なんだよ。


まァ、最近はとかく「昔はよかった」なんて話になりがちだよね。
昭和30年代、40年代を懐かしんで「あの頃の日本は貧しくても夢と希望に溢れていた」なんていうドラマが多いじゃない。
オイラに言わせれば、「嘘をつくんじゃない」って気がする。
別にそんなにいい時代でもなかったぜってね。


↑(引用ここまで)
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私は、たけし氏も言うような『昔はよかった』みたいな安易な懐古主義が大嫌いです。


そこには、中途半端な現状批判というか、現状を改善できない責任の一端はおまえにもあるのに、それを棚に上げて、いけしゃあしゃあと「昔は云々」と言ってのける無責任さがあるように思うからです。
おまえは何様だ、と。
それをわざわざ口にするおまえの意図は何なのか、と。


「殺すのは誰でもよかった」みたいな無差別殺人事件のニュースなんかを耳にしたら、「昔はこんなことはなかった」と言いたくなるのも、わからないではないです。
ただ、そこでそんな安易なセリフを口にしちゃおしまいでしょ、って。
建設的意見を言うわけでもなく、代案があるわけでもない奴は黙っとけよ、って。
どうにも人間が安っぽく見えてしまうのは否めませんよね。


もっと言わせてもらえば、現代日本では、ひと昔前ほど衣食住に困っていない人口が多くなったことで、皆「ヒマになった」。それだけのことだと思うんです。


ひと昔前は、一般家庭に電化製品もそれほど普及していなかったので、炊事・洗濯・掃除や労働にかける時間が膨大で、それこそ無差別殺人なんかを思いつく余裕も、社会になかったんだと思います。


それが現代日本では、電化製品の普及をはじめとした「便利」「合理化」が幅をきかせてそういった時間を根こそぎ短縮し、「もやもやとしたヒマな時間」が増えるようになった、ということなのではないでしょうか。


ほら、街行く人を見てください。
皆こぞってスマートフォンの画面とにらめっこ。
さも忙しそうに仕事のメールでも打っているのかと思いきや、画面をチラリと覗いてみれば、ゲームやネット、LINEに明け暮れているだけです。
どれだけヒマな時間を持て余しているんでしょう(笑)。
そりゃあ、そんな中から無差別殺人なんぞを思い付く奴が出てきてもおかしくない、ってもんです。


そんな簡単なことにもアタマがまわらずに、ただただ「昔はこんなことはなかった云々…」と口にできるおっさんやおばはんの安易さ。
吐き気がします。


…私も、こんな大口を叩く以上は、「昔はよかったなぁ」なんて、間違っても口にできませんよね(笑)。


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