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↓『ご飯を大盛りにするオバチャンの店は必ず繁盛する』島田紳助著、幻冬舎新書、2007)より引用(02)


さて、実際に喫茶店をやることになったら、おそらく、比較的お客が入っている喫茶店がどういう具合に商売をしているかを調べるところからスタートするだろう。
少なくとも、その店は失敗していないからこそ、今そこで営業していると考えられるからだ。
実はその店は、ドル箱がすっからかんの状態なのかもしれないのだが、それは外側からではよく見えない。


商売というものは、やってみなければわからないことだらけだ。
喫茶店のことを調べるにつれて、自分がどれだけ、喫茶店の常識というものを知らなかったかということに気づくに違いない。
そして同時に、その業界の最低限の常識はわかっていないと失敗する。
そう思ってしまうのが、自然な人間の心の動きだろう。


だけど、その常識にとらわれていたら、成功する店は作れない。


なぜなら、その常識は、失敗している店の常識だからだ。
繰り返し書くが、本当に成功しているのは100軒のうちの1軒なのだ。


つまり、成功しているのは特殊な店、常識はずれの店ということになる。


これは理屈で言っているわけではなく、どんな業種でもいいけれど、本当に成功している店をよく見てみればわかることだ。
成功しているところは、どこもみんな個性的だ。
業界の常識を覆すようでなければ、おそらく本物の成功は望めない。


↑(引用ここまで)
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「世間の常識」は、そのほとんどが「失敗者(没個性者)の常識」。


自営業でも、結婚生活でも、育児でも、休日の過ごし方でも、「これが常識だよ」「こうした方がいいよ」と言ってくるような人、もしくはそういったニュースやテレビ番組を鵜呑みにするような人がどの程度の人なのか、ちょっと想像すればわかると思います。
そんなことを言ってくる人のほとんどは、「失敗者」、もしくはマネしたくもない「個性のない者」ではないでしょうか?

金銭的にも、精神的にも、自分自身はもちろん、周囲の人も幸せにすることのできる人を「成功者」と呼ぶならば、はたしてそんな人が「これが業界の常識だよ」なんて言うでしょうか?
「家事は夫婦で分担すべきだよ」「子どもは褒めて伸ばすんだよ」なんて、どこかで聞いた風なセリフを口にするでしょうか?


私見ですが、世の自営業も、結婚生活も、育児も、9割は「失敗」だと思うんです。
一見、みなさん「私はできてますよ」みたいなすまし顔で暮らしていらっしゃるからわかりにくいですが、「あの人の立ち振る舞いは極端に見えるけど、一本筋が通っている。天晴だ!」と思わせてくれる人の少なさを思うと、どいつもこいつも没個性的な、自分のアタマで考えない、「失敗者」だらけのように、私には見えます。
というか、近所で顔を合わせても挨拶もできず、落ちたゴミを素通りできる大人が大勢を占めている(と私は実感している)昨今ですから、少なくともそんな奴らにまともな「育児」ができるとは思えません。「そんなこともできないような奴が、ガキに何を教えられるんだ?」と。


つまり、こういうことです。
世の「常識」「こういうもんだ」に耳を貸していたら、それを言う凡人ども、つまり9割の「失敗者」の方にあなたも入ってしまいますよ!


儒教で言われるような、いつの時代も変わらない「人間」としての常識や作法もそりゃあるのでしょうが、それすらも、一度自分のアタマで理解しなおして、納得できるものだけセレクトして、自分独自の言い回しにするようにやっていかないと、こんなことを偉そうに言っている私だって、いつの間にか「失敗者の常識」に埋もれてしまうと思うんです。


私は、「誕生日は、そいつ自身よりも、腹を痛めて産んでくれた母親に感謝する日」と周囲にも子どもにも明言していますし、「人が集まる機会」に利用する以外は、世間のイベントごとは一切やりません。


また、「自ら好んで”育児”という作業に飛び込んだんだから、炊事も保育園の送迎も糞尿の世話も、できるだけ全部やりたい」と公言して実行しています。…だから、「育児に”協力的”な、いい旦那さんね」とか褒められても、違和感が残ります。「”協力的”とかそういうつもりでやってないんだけどなあ」って。
「炊事洗濯掃除は、妻がやるもの。夫はその”お手伝い”」という「世間の常識」を実感する瞬間でもあります。


「人の話に耳を傾けなさい」と人は言うけれど、「人(凡人)の話に耳を貸さない」という選択肢こそ持つべきなんじゃないかなあ、と最近本気で思うのでした。


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