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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(14)


お寿司ひとつにしても、うちはくるくる寿司しか食わさん。それが、愛情です。
「おまえらが大人になった時、OLになってみんなでお寿司食べに行って、トロ、ウニ、イクラ、言うて、白い目で見られたらどうすんねん。食べた時『おいしい。こんなおいしいお寿司、食べたことありません』って言うほうがよっぽど愛されるで」
って、チビらに言うんです。周りの人が言うかもしれない。
「紳助さんとこ、あんまりエエもん食べてないんじゃないですか」
「いいえ。父は食べてましたけど、私らは、食べさせてもらえませんでした」
「なんで?」
「愛してるから、って言ってましたよ」
そんなふうに、わかってもらえると思うんですね。


そう、愛してるから、やたら買い与えたりもしない。
小遣いも、ちゃんと小遣い帳つけて、月末に経費は申告さすんです。
参考書はしゃあない、でもジュースは認めへん、という具合です。


子供を育てるって、結構大変ですもんね。
家にいっぱい張ってあるんです、目標や約束みたいなこと。ぼくも、嫁さんも、うちへ来るいろんなヤツも。
それを同じ大きさで、同じところに張ってある。おまえら子供やから別とか、そんなことを全然しないんです。おんなじなんです。


↑(引用ここまで)
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…『子供を育てるって、結構大変ですもんね』。
私は「育児」について、紳助氏の言う「結構大変ですもんね」くらいの言い方が、とてもしっくりくると思うんです。


「育児は大変よ。ナメない方がいいわよ!」と言いたくて仕方ない奥様方もどうかと思うし、「うちは全部妻に任せてるんで」みたいな男もバランス感覚に欠けていると私は思ってしまいます。
おまえら、自ら「結婚」「育児」という「人生の負荷」に飛び込んだんとちゃうんかい、と。


別に「結婚しない」、ひとり自由気ままな暮らしもできた。
別に金も労力もかかる「育児」なんて面倒なことに関わらない生き方もできた。
では何のために、自らその道を選んだのか、と。


確かに誰かと共同生活すること、毎日の家事・育児は大変です。相手への気遣いと、終わりのない作業の連続です。
朝、子どもを起こして朝ごはんを食べさせる。着替えさせる。検温して、保育園の支度をして連れていく。
熱が高くなって保育園から呼び出されることも少なくない中、なんとか仕事を終え、保育園に迎えに行く。
保育園帰りにグズったり、なかなか帰りたがらない子どもをゆっくり誘導しながら帰宅。
ごはんを炊き、夕飯の準備をし、洗濯機を回し、明日の用意をする。
子どもに夕飯を食べさせ、ワガママを言ったら叱り、洗濯物を干し、洗い物をして、子どものトイレトレーニングをし、風呂に入れ、寝かしつける。


…いやー、こう書き出してみると、結構大変そうですが(笑)、自らこの作業がしたくて、こんな「人生の負荷」が欲しくて、自ら「育児」に飛び込んだのですから、やっぱり紳助氏の言う『子供を育てるって、結構大変ですもんね』くらいの表現が妥当なところじゃないかと思うんです。
確かに大変かもしれないけど、やらなくてもいいことを、自らすすんで手を挙げてやっているだけなのですから。


そういう意味で、毎日「大変、大変」とぼやく人の神経がわからないし、「夫が育児を手伝ってくれない」と嘆く主婦の神経も、また言われる夫の神経も理解できないのです。


言ってみれば、「”大変”な育児」を「大変」に感じないコツは、「自分からすすんで、その”大変”を味わうために育児に飛び込んだんとちゃうんかい!」と自問することなのかもしれない、と最近思うのでした。


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