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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(05)


その前に、彼女(長女)にひとつ夢があった。国公立の中学校に行きたい、というわけです。
そこでひとつ約束をしたんです。
受けるのは、誰だって受けられる。どんなヤツだって、勝手に夢決めて。
けれど競争率十倍以上でしょ。どの世界でも一緒や。ほとんどの人が敗者になる。
「その時に、自分が受け止められるか、どうかや。受け止められへん人は、夢にトライする資格のない人や。どうするねんや」
「大丈夫。受け止めるから」
「受験して落ちて、おれらが知らんところで涙流すのはかまへん。そんなとこでまで泣くなとは言わへん。
ただ、おれらと接してる時に、暗い顔したり、こっちが気ィ使わなあかんようになるのは、迷惑や。
夢を追いかける人間は、人に迷惑をかけたらあかん」
「いや、大丈夫」
って、受けたんですけど。


二人で発表を見に行ったんです。不合格の人数のほうが多いわけですよ。
山の上、上っていくと、親子で背中が丸かったりする。
「落ちたの丸出しやな。格好悪いな。……胸張って降りてこようぜ」
って、チビと言いながら上がった。
見た。
「ないな」
「ないな。しゃあないな。行こか」
って、歩きだして。ぼくなんか、結構ショックでね。
可哀そうやな、と思って。ぼくは、ちょっと背中丸かった。
「おっ父、背中丸いで」
「おう、そうか」
って背筋伸ばしたら、前から、うちの大学生の家庭教師が上がって来る。
大きな声、出されへんから、小声で、「どうでしたー?」って言うたんですよ。


そしたら、チビがVサインしよってね。
その瞬間、ぼくは十二歳の、自分の子供やけど、尊敬しましたね。
きっとVサインの気分じゃないでしょう。落ちてショックでしょ。
それを、一年前に言うた約束守って、Vサインして胸張って下りてきたら、なんか、試験に落ちたけど、ひとつ勉強してくれたなって。


↑(引用ここまで)
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…『ただ、おれらと接してる時に、暗い顔したり、こっちが気ィ使わなあかんようになるのは、迷惑や』。


紳助氏は家族で食事中、子どもたちがちょっとでもグズったり泣いたりしたら、決まってちゃぶ台をひっくり返すようにしていたそうです。
「おまえらが泣きたいなら、ひとりのときにでも勝手に泣けばいい。でも、それを家族の前に持ち込まれるのは迷惑や」と。


また、「体調が悪いのも、おまえらの勝手な都合や。客人の前で、暗い顔されるのは迷惑や」とも、子どもたちに言い続けていたそうです。


厳しい物言いかもしれませんが、正論です。
「周囲の人たち・雰囲気への配慮」をここまで徹底して躾けられる人も、なかなか少ないのではないでしょうか。
「子どもなんだからグズるのは、仕方ないよな」とか、「風邪をひいているんだから、今日は仕方ないよな」とか歩み寄ってやる大人ばかりじゃありませんか?


しかし、その「大人からの歩み寄り」「例外を認めてやること」の連続が、子どもや若者たちから「周囲への配慮」を磨く機会を奪っているように思えるのです。
「…今日は具合悪いからしょうがないよな」なんて自分の中で言いわけをして手を抜いてしまう若者の量産に一役買っているように思えるのです。


自分の体調や一喜一憂で場を乱さないよう気を配るのはもちろん、子どもや若者にも頑としてそれを要求できる大人でありたいものです。
「子どもなんだからグズるのは、仕方ないよな」なんて、ものわかりのいい大人ばかりなのは気持ち悪いですからね!


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