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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(04)
だいたい、ぼくは、偏差値が高いとか低いとか、全然、信用しとらんですよ。
上の子がいま通っている中学は本人の偏差値が仮に百だったとすると、七十くらいでも入れるところ、真ん中の子が来年受験しようとしているところも、本人の実力の半分くらいのところです。
学校はね、偏差値じゃないですよ。環境です。
どうせ何年も通うんやったら、おもろいヤツが周りにいっぱいおるほうが、楽しいに決まってます。
上の子なんか、いまでは「この学校で正解、正解」って喜んでますよ。
ついでに成績も最初は学年で七番だったのが、いまでは真ん中ぐらいに落ちてしまいました。
本人は、全くあわてず「あほになじんだ」って言ってますけどね。
↑(引用ここまで)
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「偏差値なんて子どもの価値と関係ない、と世間は言うけれど、大学受験や大卒での就職を見据えると、やっぱり偏差値の高い中学・高校にわが子を入れさせてやりたい」
…こんなふうに考えている父親や母親が、けっこう多い気がします。少なくとも私の周りでは。
でも、学校の「おべんきょう」なんて、紳助氏が言うくらいの適当なスタンスで臨むのがちょうどいいのかもしれません。
みなさん、「学校」に期待をかけすぎなんですよ。
大学に行きたければ、自分で遠回りしながらでも、勝手に勉強して、金の工面をして、行けばいい。
社会に出て働くために必要な「挨拶」「気配り」「フットワークの軽さ」なんかは、子どもが小さいときから逆算して、親や周りの大人が仕込んでやればいい。
それもこれも「学校」が全部教えてくれる(べき)、な~んて過度の期待をかけるから、家庭での仕込み(教育)が甘くなるんですよ。
私の知り合いで、小学校から学校に通わず、親から金をもらって日本中、世界中を旅して、今NGOを細々とやっている奴もいます。当然、漢字や計算は苦手ですが、仕事や私生活にはほとんど支障もないそうです。
紳助氏の二女も、大学進学後しばらくして「今の大学にはもう、学ぶべきことがない」と言ってさっさと退学し、中1英語から勉強しなおし、1年かけてTOEFLの基準点を突破し、留学していたそうです。
そんな彼らの暮らしぶりを思うと、「学校」との付き合い方なんて、そんな程度のスタンスでも十分やっていけそうですよね。
「学校」なんて、「学問」「体育」「芸術」という文化の入口を見せてくれる程度で十分。
子どもの社会性の基本は、親や周りの大人たちが仕込んでやればいい。
我々大人が、そういったいわゆる「学歴社会のレール」からはずれた道をどんどん子どもたちに伝えていけば、「やっぱりいい大学、いい会社」なんて凝り固まった発想しかできない大人も減ってくるでしょうし、競争社会で擦り減らされていないユニークな若者も多くなってくると思うのです。
…少なくとも、子どもの成績が下がってきて、『あほになじんだ』と笑っていられるくらいの許容量は持っていないと!
