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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(08)


「気持ちよくいたい」という気持ちに奉仕しすぎている。
教育というのは、世の中には悪人や弱者などいろいろな人がいるんだから、自分だけが気持ちよく幸せになることなどありえないし、そんなことがうまくいくわけはないと教えてやらなくちゃだめなんです。
でもそんなことを誰も教えない。宮崎アニメは、そういうことをまったく教えない。


でも私は昔からなぜか、敵で死んでいったやつに感情移入しちゃうわけです。
『マジンガーZ』の阿修羅男爵がすごくかわいそうで……(笑)。
彼は中間管理職で、いつも辛い思いをしているんです。
敵役がうまくいっているときよりも、敵役が哀れになったときに、「この人はどうしたらよかったんだろう」とつい考えてしまう。
作者の側にはそういう配慮は一切ないですね。
作者の冷淡さに、脇役がちょっとかわいそうになってきます。


子どもたちに、自分、他人、さまざまな人がいる中で、自分なんでもかんでも正しいなどということは、ありえないんだと教えなくてはいけない。
というより、「自分は間違っていることのほうが多い」「お前らは生まれながらにして間違っているんだ」と、ある程度教えないとだめです。
最初からすべてを正しくわかるわけがない。


でなければ教育というものは存在しない。
もともと人間がだめな生き物で、何もわかっていないから教育するわけです。
最初に教育という概念を考えた人は、何もかも正しく理解していて、立派ですばらしい人間を教育しようとは思わなかったでしょう。
人間は生まれながらの状態のままでは、バカで愚かなんだ、ということがわからなくてはいけない。
生きていく中で、学んでいくことによって人間はできていく。
いまの日本の作品は、あまりにも学びの心が足らなさすぎですね。


↑(引用ここまで)
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想像力の欠如。
大人も子どもも、「いっぺん自分のアタマで考えてみる、想像してみる」という作業をしなさすぎなんです。
というか、子どもを教育する立場の大人自身が、商売人から与えられたエンターテインメントを、与えられるままに何も考えず日々享受し続けているのですから、「世間が”これがいい、正しい”と言っていても、おまえは自分の頭で考えなさい」なんて子どもに教えられるはずがないですよね。


江川氏の言う阿修羅男爵の例のように、「あの脇役は普段、何を食ってどんな暮らしをしているんだろう」とか、「主人公にやっつけられている敵役が自分だったら、どう思うだろうか」とか、そういった作業はただの空想遊びのようにも思えるかもしれませんが、それは、隣人の生活ぶりや思考に思いを馳せる、つまり「他人の立場に立ってものを考えられる」能力にほかならないと思うのです。


電車やら飛行機やらで泣きわめく赤ちゃんに「うるさいなあ」と思いつつも、「でも、自分があの親の立場だったら大変だろうなあ」と思えるか、どうか。
車の運転をしていて、信号のない横断歩道で待っている人を見かけたら、「この車どおりじゃあ、なかなか渡れないんだろうなあ」と思って一時停止できるか、どうか(というか、歩行者のいる横断歩道の手前での一時不停止は違反です。ちゃんと一時停止している人、私以外に見たことないですけど…笑)。


「おまえだけが暮らしているんじゃないんだよ」「おまえが気持ちよく過ごせていても、そのせいで他人が気分悪く過ごしていることもあるんだよ」という、子どもや若者たちに「身の程をわからせる」関わり方ができ、また日ごろの姿勢でも示せる大人でありたいと、そう思ってやみません。


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