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↓『現実はマイナーの中に』江川達也著、ウェイツ、2004)より引用(01)
以前、『少年ジャンプ』の編集者と話したことがありますが、なぜ日本のマンガやアニメが海外に出ているかというと、欧米では子ども文化に対して大人があまりサービスをしていないからではないか。
欧米では「子どもは厳しく躾けなければいけない」という感じで、日本のように甘やかしたりはしない。
イソップ童話のような子ども向けの寓話にも、子どもに飴を与えるよりも「こんなことをすると人生、大変なことになるぞ」といった戒め的なものが多い。
織田信長に仕えていたルイス・フロイスが残している文章に、「日本人は子どもをすごく大事にする」と驚きながら書かれているように、すでに戦国時代から日本には、欧米よりも子どもを大事にする土壌があった。
そのため日本には子ども向けのアニメ、マンガをつくればそれなりに売れる大きなマーケットが生まれた。
外国には日本ほど子どものためのマーケットやレジャーがない。
そういう意味で、隙間商品のようにアニメとマンガが外国に流出していった、というのが実情ではないでしょうか。
↑(引用ここまで)
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つねづね「日本では、子どもに対してサービスをしすぎる」「子どもをターゲットにした商品が多すぎる」と強く感じていましたが、戦国時代からそんな傾向が日本にあったとは、驚きです。
とはいえ、「早く一家の働き手になる」よう大事に子どもを育てていた時代とは違い、昨今では育児の「娯楽」色・「自分たちの好きなように子どもを連れ回して何が悪い」感がだいぶ強まっているように思います。
私が思うに、「育児」には「自分たちが育てたいから、育てる」という個人的側面があることももちろん否定しませんが、「社会的役割」「自立させて社会に送り出す」側面も大きなウェイトを占めているはずです。
「子ども」は個人の持ち物ではなく、ゆくゆくは自立してひとりで生きていかなければならない、どちらかというと「社会のもの」だと思うのです。親はあくまで、一時的な監督者にすぎない。
それが、今の日本の現状はどうでしょう。
母親の一番の関心事は「子ども」で、これでもかというくらいに「手間」と「金」をかけてやっている。「○歳では○○するようになるから、○○を買って今から準備」という育児雑誌の言うことに一喜一憂し、商売人の手のひらの上でいいように金を払わされてる自覚もない。
明らかに子どもをターゲットにした携帯電話やゲーム機、CD、DVD、おもちゃなどの新商品がバンバンテレビCMで流されていることに何の疑問も持たず、子どもに買い与える。バカ高い基本料金を毎月払ってやっている。
子どもに「大人にだって都合がある。いつもかまってもらえるわけではない」と分からせる機会を根こそぎ奪い、泣きわめけばすぐにかまってやる。おやつやDVDを与えて誤魔化す。
それを繰り返すことで、「ダダをこねればおやつやDVDが与えられるぞ」と学習させてしまう。ダダをこねればおやつをもらえるから、食事の時間に一生懸命食べない。何も「有難い」とは思わない。子どもはどんどん増長する。
…子どもを「社会のもの」、育児を「社会的役割」と思う「役割意識」が少しでもあれば、こんなことにはならないですよね。
本当は子どもが気になるけど、あえて「オレはお前にそんなに興味がないぞ。今は忙しいんだ」という態度をとることを忘れないですよね。
…街ゆく親子を見て、「そんな関わり方で、将来親元を離れて会社やらで周囲に気配りのできる大人になるんかい?」「”子ども以外にも関心事がある”姿勢をなぜ見せない? 育児と関係ないおまえの人生はどこへ行った?」と思わされることは多いです。
戦国時代から「子どもを大事にする」素地がある我々日本人だからこそ、「子どもをどういう大人にしたいのか」「親自身がどんな”生き様”を見せられるのか」に注意を払って「子ども」と対峙しなければならないと、改めて思わせてくれた江川氏の文章でした。
