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↓『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつーじゃないですか』(みうらじゅん・リリーフランキー著、扶桑社、2011)より引用(20)
みうら:みんなピカソは認めるけど、「平均」の人の価値観で判断するなら、本当はひっどい男だよ、あれ。
でも、『日曜美術館』で扱われると、もうOKなんだよね。
そこで「平均」の人たちの価値観をガラッと変えてしまうわけ。
リリー:みんながピカソになれるわけじゃないけど、でも、別になんにもしてなくて無職でも、「平均」の価値観は踏み散らかせばいいんですよ。
そうすれば人と違うという意味でも孤独が怖くなくなるんじゃないですか。
みうら:そこに「平均」の責任感や常識を持ってると不安になるけども、散らかせば、あまり思わないようにはなるってことだよね。
↑(引用ここまで)
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…『「平均」の価値観は踏み散らかせばいい』。いい言葉です。
特に私は「”平均”には属さないぞ」「凡人の思う”平均”なぞ踏み散らかしてやる」と強く思って生活しているほうだと思います。
…しかしそれだけに、周囲への気配りや「自分がやります!」というきっぷの良さは人一倍振りまいて歩くように心がけています。それはもう、「これでもか」というくらいに(笑)。
今から二十年以上前…私が働きはじめた頃、「周囲に迎合しない」「つまらない大人にならない」なんてことばかり意識して頑固に「個性」をアピールして働いていたあの頃、本当にいろんな人たちから叩かれました。それはもう、「これでもか」というくらいに(笑)。
…今思えば、仕事もロクにできないくせに、相当生意気な若者だったと思います。
いくら高尚な理念を持っていたとしても、それを周囲に理解させる、周囲に「一目置かせる」何かがなければ、世間知らずのガキんちょの話など、誰も聞いてはくれない…当然の話です。
私は必死に周囲からの信用を得るために、自分のできることからひとつひとつ積み上げていきました。
会議には絶対に遅刻しない。早めに来て準備を手伝う。飲み会の時間もきっちり守る。先輩たちから「あいつはきっと来るよ」と定評がつくくらいの「固定メンツ」になる。
ゴミ箱がたまっていれば率先して捨てに行き、廊下が汚れていたらモップをかける。ゴミを拾う。私のそういう姿が周囲から見て「定番」になるくらいに、それでいて嫌味にならないように気を遣いながら継続する。
人の嫌がる仕事を「自分やります」「ハイ、喜んで」とすすんで引き受けるよう心がけ、自分がいくら急いていようとも困っている人を見かけたら「どうしたんすか?」と明るく声掛けをする。「自分の仕事」だと思う幅を広げて歩く。どんな人とも選り好みせずに、明るく絡んでいく。
…こんなことを3年も続けていたら、あらどうでしょう(笑)。
出張で出れなかった会議の資料は誰かが取っておいてくれるし、会議に万一遅刻しても、逆に「おまえが遅れるなんて、何かあったのか?」と先輩から声をかけてくれるようになっていました。
何かあれば管理職や先輩方から仕事を頼まれるようになり、話が転がらなければ私に話を振ってくれる。安定した職場の「ムードメーカー」として、いつもみなさんの笑いの矛先が自然と私に向くようになっていました。
…この頃からです。
私の「”平均”には属さないぞ」「凡人の思う”平均”なぞ踏み散らかしてやる」が周囲に認められはじめたのは。
仕事や気配りで一目置かれる私は、3年前と同じ「個性的」なことをしても、「あいつは、そういう奴だから(笑)」「あいつの言動はいつも場を明るくしてくれる」なんて言ってもらえるようになったのです。
ちょっと私事が過ぎたかもしれません。
つまり、今回私が言いたいことは、『「平均」の価値観を踏み散らかす』のは言うは易し、やってみると結構しんどいということです。
周囲から「破天荒な奴」だと思われている私ですら、胃に穴のあきそうなつらい毎日を送っていたのです。
そういう意味では、私なんぞ「平均」「社会の常識」から、そんなにはみ出ていない類の人間なのかもしれません、本当は。
…結構無理をして「破天荒」を演じてきたのですから。
しかしおかげさまで、みうら氏も言うように『そこに「平均」の責任感や常識を持ってると不安になるけども、散らかせば、あまり思わないようにはなる』ことが実感できるようになってきました。「孤独」「孤立」をそんなに恐れないようになってきました。
だから、私は言いたい。
「やってみたら結構しんどいけど、”孤立”を恐れるな。”変人”扱いされることを恐れるな」と。
また逆に、「”孤立を恐れるな”と言う人は結構いるけれど、いいバランスで”孤立”できている経験からそれを言えている人は少ない」と。
