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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(21)


その昔、「オレたちひょうきん族」というテレビ番組があった。
あの番組が受けたのも構造は同じだ。原則はノールール。
「お前、昨日あの女とやっただろう」と番組中に暴露するという類の、楽屋話で笑いを取っていた。
それ以前には、そんな下品なことは誰もやらなかったから、それは芸の笑いとは別のものだ。
ラッキョウの皮をどんどん剥くように、ひとつの本音を明かしたら、次はもう一段深い本音を暴露しなければ笑ってもらえない。
だから限界がある。


当時は裏番組にドリフターズの「8時だョ! 全員集合」というオバケ番組があって、それに勝ったとか言って喜んでいたが、今になって「ひょうきん族」を見ても面白くも何ともない。
古臭くて笑えたもんじゃない。
ところが「8時だョ! 全員集合」は今見ても面白い。
それは完璧に計算して稽古して作り上げたものだからだ。


本音なんて、たいしたものではない。
ただみんながそれを言わないから、言った者が勝ちということになるだけの話だ。
にもかかわらず、今の世の中では本音を言うのは偉いということになっている。
それがどうにもわからない、というか胡散臭い。
「ひょうきん族」が今じゃ笑えないのは、それが今の基準で言えば、他愛もない楽屋話に過ぎないからだ。
それは今現在の最先端のお笑いでも同じことだろう。


↑(引用ここまで)
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…地上波を使って延々と流される『楽屋話』。
最近のテレビ番組の多くは、どれもこれも芸能人の「キャラいじり」「プライベートいじり」に終始していて、似たり寄ったりのものであふれかえっているように思います。
特に、ここ数年はそれが顕著ではないでしょうか。


そして、私がその様相に違和感を覚えるのは、その番組内容が、訓練され、稽古されて作り上げられた「芸」ではなく、「身も蓋もないこと」を言った者勝ちの、「楽屋でするレベルの下世話な話」が大勢を占めているからだと思うのです。


いまや報道番組ですら、本来悪い意味で使われていたはずの「B級グルメ」という言葉を乱発するようになっていますし、自称「グルメ」番組ではお笑い芸人に安っぽいファミレスの料理を「うまい」と言わせ、知らなくてもいいような「雑学」をひけらかすクイズ番組でゴールデンタイムはあふれかえっています。
…どこが面白いんでしょうか?
あれは完全に、見る側をバカにしていますよね。


インターネットもそうですが、ここまでテレビ番組の「公共性」が、庶民の「私生活」レベルにまで引きずりおろされるなんてことは、かつてなかった状況ではないでしょうか。


…しかしながら、こんなことを言っている私だって、個人的に興味ある「雑学」もありますし、ファミレスにも行きます。
ちょっと油断してテレビをザッピングしていたら、そんな安っぽいバラエティ番組を流し見てしまいそうにも、なります。


しかしどうにも、その「安っぽさ」「下世話さ」には、見る側の品位まで下げていってしまうような害悪があるように思えてならないのです。


…どんなに抵抗しても私たちは、庶民が喰いつくようお膳立てされた「エンターテインメント」を消費していくしかないのかもしれません。
ならばせめて、見るもの・享受するものは精選したい。「安っぽい」「下品な」番組は避ける。テレビは消す。
享受する「娯楽」を見れば、その人のレベルがわかると、そう思うのです。


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