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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(18)
昔、俺がまだ子供だった頃、近所の不細工な娘が嫁に行くことになった。
花嫁衣裳を着た娘を前にして、母親と父親が涙ぐんでいて、近所のオバサンとかが「まあ、綺麗になっちゃって」とか騒いでいた。
俺は、可笑しくてたまらなかった。
そこで笑ったら、またお袋に頭をひっぱたかれそうだったから、下向いて笑いをこらえていたら、酒屋のオヤジがぼそりと言った。
「ふっさいくな娘に、何言ってんだよ」
こらえきれなくなって、俺は大笑いしてしまったんだけど、みんなも笑っていた。
今そんな話をテレビでしたら、それこそ不謹慎だとか、女は顔じゃないとか、苦情の電話が殺到するだろう。
だけど、そこが笑いというものの悪魔的なところで、笑いに上も下もない。善悪も関係ない。
誰にでも、同じように襲いかかる。
今の世の中は、そういう笑いを押し潰そうとしているように見えて仕方ないのだ。
要するに、冗談が通じない世の中になった。
↑(引用ここまで)
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…『今の世の中は、そういう笑いを押し潰そうとしているように見えて仕方ないのだ。要するに、冗談が通じない世の中になった』。
本当に、「冗談が通じない」雰囲気、蔓延してますよねぇ。
「不謹慎だ」「自粛すべき」「それで気分を悪くする人がいたらどうするんだ」と、すぐに自主規制させたがる雰囲気が。
…正確には、自主規制をさせようとするわけだから、「他主規制」ですかね?
そりゃあ確かに、震災直後にへらへらと笑って娯楽に興じていたら、それを見て気分を悪くする人もいるかもしれません。
誰か人が死んだときに、どんなに心の中で「天晴れだ! いい生き様だった」と拍手を送りたくても、それを表に出したら「不謹慎だ」と言う人もいるでしょう。正論です。
でも、「不謹慎」な人がいたって別にいいじゃないか、と思うんです。
大人も子どもも、みんながみんな「万人に配慮できる”いい子ちゃん”」にさせられている状況も怖くないか、と思うんです。
ちょっと素直に笑ってしまったり、ちょっと正直に「死」を肯定したりするだけで、「それは不謹慎だ!」とカサにかかって批判を浴びせる人ばかりの世の中も怖くないか、と思うんです。
別に「何を言っても許されるべき」と主張したいわけではないんですよ。人に配慮はすべきです。
ただ、「そういう考え方もある」「そういう人もいる」という心の許容範囲を狭めすぎてはいませんか、と指摘したいだけなんです。
私の周りにはあまりにもそういう方たちが多い(ように思う)ので、あえて「不謹慎な奴」を演じさせられているくらいです。…ふだんの私を知っている方は、私が好きでやっているように見えているかもしれませんが(笑)。
…空気を読んで(作って?)みんな黙りこくっている場面で、おちゃらけて空気を和ませてみたり。
…震災後にみんなこぞって民主党や東京電力の対応の悪さを口にする中、「オマエだったら”誰からも文句の言われない”対応ができたとでも?」「けっこうがんばってると思うんやけどなぁ」と言ってみたり。
「不謹慎かもしれんけど、確かにそれも一理あるな」と周囲に言わしめる対応を、選択肢として持っている自分でありたいと最近強く思うのです。
