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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(08)


笑いというより、失笑を買うような番組がやたらと増えるのも不思議ではない。
失笑だって何だって、視聴率になればそれでいいのだ。


まあ、そういう時代になったということなのかもしれないが、これはどう考えても、テレビ局だの事務所だの、つまり芸人を使う大人たちだけが美味しい話なわけで、やっぱりかなり意図的にやっていることなのだろう。


↑(引用ここまで)
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「失笑」ブーム。


バラエティ番組や、若者の日常的な会話の中にさえも、「笑えない」「おもしろくない」ことをあえてやらせて周りは鼻で笑う、という図式が氾濫している昨今を、私はそう評することにしています。


…だって、おかしいと思いませんか?
「笑わせる」のではなく、「笑われる」ことがオーソドックスになりかけている芸人。
「ほなら、おまえだったら、そこでおもろいこと言えるんかい?」という当然の非難を棚に上げておきながら、平気なツラして「見下し笑い」をしている一般人。


そういう、いわゆる最近の「ネタ見せ番組」や、友人どうしで「今からコイツがおもろいこと言います」とかハードルを上げておいて、「やっぱり」できなくて、周りが「見下し笑い」をするといった状況を見ると、吐き気がします。


「他人をバカにし、見下す笑い」がオーソドックスになってはイカン、とそう思うのは私だけでしょうか?
というか、おもしろくないでしょ、「おもしろくないことを笑う」こと自体が。


…まあ、そういうスタイルもただの「流行り」と言ってしまえばそれまでなのですが、「できないことを笑う」ことが許されるのは「できる人」だけ、というコミュニケーションの基本を無視した「身の程知らず」の増殖には、どうにも違和感を禁じえないのです。
おまえは何様だ、と。
「笑い」の取り方、場のなごませ方の選択肢が「失笑」ばかりの集団になんて、何の魅力も感じません。


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