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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(07)


つまり、現代の老人問題は、老人の世話を金で解決しようとしているがゆえの問題であるとも言える。
昔は年金も、介護制度もなんにもなかったのに、老人問題なんてものは問題にもなんいもならなかった。
大家族で、みんなが貧乏で、人と人が肩を寄せ合わなければ生きられない時代には、若い者が年寄りの世話をするのが当たり前だった。
「楢山節考」みたいな話もあったわけだけれど、そういうこともひっくるめて、それが生きるということだった。
苦しいからこそ、人と人は本心から助け合う。
お涙頂戴の、エンターテイメントとはまったくの別物だ。
なにしろ他人の話でなく、自分のことなのだ。
誰もがこういう覚悟をして生きていた。
人生が苦しみに満ちたものだということを誰もが知っていた。
年寄りも、若い者も、その覚悟がまったくできていないということが、現代の老人問題の本質なのだと思う。
人生を浮かれて生きるのもいいけれど、人は老いて、死ぬものだということから目を逸らしたら、いつか大きなしっぺ返しを受けるに決まっている。


↑(引用ここまで)
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…『人生が苦しみに満ちたものだということを誰もが知っていた』。


「老い」と「死」が実感しにくい、もとい、そこから目を逸らして過ごす我々。
「人生は、苦しみに満ちたものなんだよ」と子どもに教えずに過ごす我々。
…たけし氏が『いつか大きなしっぺ返しを受ける』と
危機感を覚えるのも、わかるような気がします。


それこそ『楢山節考』のように、70歳になったら姥捨て山に自分の母親を連れていく覚悟、いつかは自分が連れて行かれる番がやってくるという覚悟、村(家族)の備蓄食糧を上回る老人や赤子は殺して然るべきという覚悟をもって日本人が暮らしていたのも、そんなに大昔の話ではないはずです。


水洗便所の完備によって、食物連鎖の循環、糞尿と向き合わなくなり。。
老人ホームや障害者施設(学校)で隔離することによって、「老い」や「先天性障害」と向き合わなくなり。。


…こんなご時世では、「生きている」という実感、「いつ死ぬかわからない」という危機感を、自分からすすんで想像・体験するようにしていかないと、臭いものには蓋をする、現実から目を逸らすクセがついちゃいますよ!


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