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↓『超思考』(北野武著、幻冬舎、2011)より引用(04)


家電リサイクル法を作って、家電製品を捨てるのに金がかかるようにしたなら、捨てずに修理して使う選択肢を増やすのが筋というものだろう。
政府や地方公共団体は、修理屋ビジネスをもっと保護して増やそうとしなきゃ、ほんとはおかしいのだ。


けれど、実際にはそういう流れにはなっていない。なるわけがない。
現代の産業そのものが、使い捨てが前提で成り立っているからだ。
コンピュータだろうが、携帯電話だろうが、炊飯器だろうが、世の中にこれだけ普及しているのに、これでもかと新製品を出してくる。
春に新製品を買っても、夏になれば旧型になっている。まるで生鮮食品だ。
最近はエコロジカルが正義の世の中だから、メーカーは地球に優しいとかいう新製品を次々に世に送り出している。
けれど本気で地球に優しくしたいなら、まずは買い換えなくてもいいくらい長持ちする製品を開発すべきだと思うのだが、それは絶対にしない。
ウチのクルマは五十年走りますとか、この冷蔵庫は孫の代まで使えますなんてことを言うメーカーは、少なくとも日本にはひとつも現れていない。
修理して何十年も使われたら、商売にならないのだ。


クルマや電化製品を、昔の鍋みたいにとことん修理して使う時代になったら、日本のほとんどのメーカーが大幅に規模を縮小するしかなくなる。潰れるところもでるだろう。
失業者は増えるし、税収は激減する。
そして日本は、外貨獲得の手段の大きな柱を失うことになる。もちろん経済はガタガタだ。
役人だって百も承知のはずで、地球温暖化だゴミ問題だと大騒ぎしているくせに、モノを大切に使うという方向へ話がいかないのはきっとそのせいだ。


↑(引用ここまで)
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「地球に優しい」とか「エコ」とか言うことイコール「正義」という風潮には、本当に嫌気がさします。


「環境に優しいクルマ」だ? ふざけるな。
「環境に優しい」と「クルマ」という矛盾する単語をくっつけておきながら、平気な顔をしている奴には、本当に腹が立ちます。


「徒歩と自転車だけで暮らせば無駄な資源を使わなくて済むのに、資源を大量に浪費して二酸化炭素も出す”クルマ”に乗って”便利”な暮らしをさせてもらっている私は、罪深い人間です」とか懺悔するならまだしも。


そんな「クルマ」に乗っておきながら、平気なツラして「エコ」だとか言えてしまう人間の神経を疑います。


たけし氏の言うように、本当に「エコ」を実践するならば、多くの「便利」を捨てて、壊れたモノは修理して使い、クルマやテレビなどの「贅沢品」は手控え、慎ましく暮らすことになるはずです。
でも、それはしない。
「便利」は手放さない。
…莫大な低賃金外国人労働者の犠牲の上に成り立つ今の日本の「経済」と「贅沢」であることを自覚もせずに。
「エコ家電」だの「250円牛丼」だのに飛びつくその姿は、「滑稽」と言うほかはありません。


江川達也氏は、その著書「ゴールデンボーイ」の中で、主人公・錦太郎のライバル金剛寺に「オレはいつでもカネや地位、今の贅沢な暮らしを捨て去る覚悟がある」と言わせていました。


私とて、そんな「贅沢」を享受していないなんて口が裂けても言えませんが、せめてその自覚、それをいつ手放しても慎ましく生きていける覚悟をもって生きていたいと、そう思ってやみません。


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