------------
↓『島田紳助100の言葉』(島田紳助著、ヨシモトブックス、2011)より引用(15)


私に来る手紙の半分が悩み相談です。
そのほとんどが、読む私のことなんかまったく考えていない、自分勝手な方々です。


返事が欲しいと書いてありますが、返信用の切手や封筒も入っていません。
そういう、相手を思いやる気持ちの少なさが、悩みを抱える原因の一端になっているような気がします。


↑(引用ここまで)
------------


「よく悩みを抱える」人に対して、「そんな言い方はあんまりだ」と怒られるかもしれませんが、「”悩み”はたいてい、そいつ自身に原因がある」と私は思っています。


「よく悩みを抱える」人は往々にして、紳助氏が例に挙げるような「”返事が欲しい”と相手に要求しておきながら返信用封筒すら同封しない」程度の性根しか持ち合わせていないように思います。
自分が普段周りの人たちにしていること以上の「配慮」「自分が気持ちよく過ごせること」を、日常的に周りの人に求めていて、当人は「いつも周りの人たちにはお世話になっているんだから、自分も普段から何かお返ししなくちゃ」なんていう発想はこれっぽっちも出てこない。基本的に「感謝」しながら生きていない。
そんな奴に限って、いやそんな奴だからこそ、日々「悩み」や「ストレス」ばかり溜め込むのです。


「自分が周りの人たちにする気遣い・配慮 < 周りの人たちが自分にしてくれている気遣い・配慮」(A)という図式が「普通」という感覚になってしまっている人は、今よりちょっとでも多く「自分が周りの人たちにする気遣い・配慮」を強いられようものなら、「なんで自分だけやらされてるんだ!」「自分がこれだけ”してやってる”のに、それ以上に周囲から”リターン”がないのはおかしい!」と、先の図式の不等号が逆になったりイコールになったりするだけで、いとも簡単に「悩み」や「ストレス」を感じてしまうのです。
要するに「ガキ」なんです。毎日メシを食わせてもらって、大人にかまってもらって「普通」と思っているガキんちょといっしょ。
そんなガキんちょが、ちょっとかまってもらえいだけで不満に感じて泣き出すのと、同じことなんです。


逆に「自分が周りの人たちにする気遣い・配慮 > 周りの人たちが自分にしてくれている気遣い・配慮」(B)という図式が「当たり前」になっている人は、「悩み」や「ストレス」をあまり抱えていないように思います。
自分が何かを買って出ること・周囲へ配慮して生活することを「損なこと」とは考えないので(これがAの人たちには信じられないことだと思います)、図式の不等号が逆になったら「してもらってばかりで悪いな」と思うし、自分のやることが増えても、そんなに気にならない。めんどくさいことでも、自分の「成長」「いい経験」だと思える。
要するに、「オトナ」なんです。「ガキ」にかわって「損な役割」を買って出ることを「当たり前」と思う「オトナ」です。


しかしながら、Aの人でもBの人でも、「自分はBだ」「自分はオトナだ」と思っているから始末が悪い。人によって「普通」のレベルは全然違うのに、私も含め、みんな、プライドだけはいっちょまえに持っているからです。
ぱっと見、どいつも「ニンゲンの大人」に見えちゃうもんだから、そいつが周囲への配慮が3歳児レベルの自分を「普通」だと思って平気なツラして暮らしている輩なのか、献身的に気配りをすることが日常になっていてなおかつ、「自分なんかまだまだガキだ」と自己反省を絶やさない「オトナ」なのか、紳助氏の手紙の例のように、ポイントポイントで独自の目線でチェックしていかないと、付き合う人間を見誤っちゃいますよね。…自分が未だ「B」になりきれていない「A」だとしても。


自分が悩むも悩まないも、「周囲への配慮」と「向上心」次第。
「人を見る目」を養いつつ、「自分はできているだろうか?」と30%の不安を持ち続けられる素敵な「オトナ」でありたいものですね!


ペタしてね