------------
↓『島田紳助100の言葉』(島田紳助著、ヨシモトブックス、2011)より引用(10)
年齢に凹んだりするな。
年齢なんて役所の登録に過ぎない。
他人が見た年齢が、その人の年齢です。
「年とった」なんて、ずっと思うものです。
忘れないでください。
これからの人生の中で、今日が一番若いのです。
老いたことを嘆いても、時間は戻ってきません。
↑(引用ここまで)
------------
『年齢なんて役所の登録に過ぎない』。いい言葉です。
年齢も、今日が何月何日であるかなんてことも、血液型も、どこかの知らないおっさんか誰かが勝手に決めた基準なんであって、「何歳で結婚して、何歳で出産して…」「もう○月か…」「やっぱり自分は○型だなあ」なんて思う必要なんて、本来ないのです。
自分は今こんな感じで生きている。今日は今日。それでいいじゃないか。何を「みんなの常識」「周りがヤイヤイ言うこと」に振り回されているんだ、と。
それこそ日が昇ったり沈んだりすることでしか「その日」を判断できなかった狩猟時代には、「年齢」や「日にちが刻一刻と過ぎていくこと」なんかに凹むことなんて、なかったと思うんです。
「日付」も、「年齢」も、確かに便利な「道具」です。でもなんだか、生活のあちらこちらで、そんな「道具」に振り回されている自分や他人に気づくことって、ありませんか?
何歳でどう生きようが、そいつにはそいつの時間の流れがあるじゃないですか。
「6月なのにもう暑いですね」って、いやいや、「夏」は日付にあわせてやってくるわけじゃないでしょう。というか四季と暦は年々数日ずつずれてくるのは当然やし。
「日付」も「年齢」も、あくまで「道具」。
「道具」は「道具」として片手に持って、もう片方の手に「自分独自の基準」を持っていることを意識しないと、気づかないまま自分や他人の「ユニークさ」を否定してることって、ありますよ?
