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↓『本能の力』戸塚宏著、新潮新書、2007)より引用(13)


近頃は幼少期に恐怖を体験させることを「トラウマになる」と嫌う人が多いようです。
しかし恐怖を体験しなくては「怖さ知らず」のままなのです。


そもそも「心の傷」なるものを見た人がどれだけいるのでしょうか。
本当に幼少期の恐怖体験がトラウマになるのならば、昔の人はトラウマだらけになるはずです。
田舎は夜になれば闇に包まれます。空襲が頻繁だったこともありました。先生も親も今よりも強権的で怖かった。
それでも皆、スクスク育ったではないですか。


理性は創るものだということを前提に考えれば、トラウマの概念には意味がありません。
自分でまともな理性を創ればいいのです。


ところが、理性はあるものだ、という立場を取ると、おかしな理性の原因をどこかに作らないといけない。
それで、トラウマという概念を持ち出して説明をしようとしただけのことです。


もちろん、トラウマ的なものの影響を全て否定するつもりはありません。
幼児期に本当に深刻な虐待を受けた場合、それが成人になって尾を引くということは実際にあるわけです。


↑(引用ここまで)
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とかく最近は、「トラウマ」だとか、「ストレス」だとか、「メタボ」だとか、新しい横文字を出してきては、さも誰にでも関係あることですよ、みたいな過剰報道をすることがもはや一般的になっているので、その功罪は多大なものがあると、私は思っています。


そんな過剰報道をするから、ただの小さい頃のイヤな思い出を「これってトラウマかも?」と思いこむ奴もたくさん出てきますし、「ストレス」なんて、そんな言葉が使われるまでは「ストレスによる病気」自体が世の中にあまりなかったとすら言われています。「ストレス」という言葉が流行るようになってから、「ストレスがたまっているのかも」「ストレスを発散しなきゃ」みたいなことを急にみんなが言いだすようになったのです。…それまでは、みんな普通に暮らしていたのに、です。


だから、私は「トラウマ」だとか「ストレス」だとかを簡単に口にする奴を、穿った目で見てしまいます。
一部の特異な例は除くとして、「トラウマなんて、本当にあるの?」「ストレスなんて、本当にあるの?」「あったとしても、それをきっちり自覚することって、デメリットの方が大きくない?」というように、多少自分のアタマで考えれば、そんな安易なニューワードがポンポン口から出てくるはずがない、と思うからです。


また、幼少時の「恐怖」体験についても、私は概ね必要なことだと思っています。


戸塚氏の言うような「暗闇」然り、いつ怒られるかわからない雷のような「親父」然り。
「自分の力が及ばない、怖いことが世の中にはある」「あいつは怖いし、腕力も強い。自分が一番ではない」と認識でき、そういったものの存在は、子どもが「身の程を知る」いい道具となるからです。


ただ話題性だけのニューワードに安易に乗っからず、子どもには適度な「恐怖」「負荷」を与えてやる。
特に私なんて、本来そんなキャラじゃないのですが、子どもや若者たちにそんなメッセージを送りたい、背中で伝えてやりたい、と思い、今日もひとり「頑固オヤジ」を演じます(笑)。。


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