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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(30)
日本の政治家も芸がない。政治家だって芸を持たなきゃいけないのに、ばか芸人ばっかりだ。
覚悟さえ決めれば歴史に残るようなことはいくらでもできるじゃないか。
舞台はいっぱい用意されているんだから、あとは芸人としての政治家がどんな芸で客を喜ばせるかだけなんだけどな。
たしかに日本の政治って、明治以降は革命でできたものだし、それ以前は武家か天皇の独裁でしょ。明治天皇を担ぎだした長州とかの政治家は革命家だもの。
だから日本の長い歴史では、独裁者と革命家の政治しかなかったわけで、国民をうならせるだけの芸ができる政治家がいたのかと思う。
それでもだよ、暗殺されてもかまわないから日米安保を破棄するとか、安保条約は認めるけどアメリカ軍には沖縄から出ていってもらうとか、大見得を切る舞台はあるはずなんだ。
でもやらない。やれない。
舞台が用意されているのに芸ができないのは貧乏芸人でしかない。芸が下手くそで出世できないやつだ。
日本の政治家にスターはいないと思う。
↑(引用ここまで)
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政治家が『大見得を切る舞台』は用意されている。私もそう思います。
脱自民を謳っていたはずの民主党が恥ずかしげもなく「消費税10%」を言い出した今(2011年7月現在)、大多数の政治家も、国民も、「今ある”便利”を手放して、慎ましく暮らす」方向に足を踏み出したくない、という本音が丸見えになった気がします。
これだけたくさんの政治家(国民もです)がいて、どうして誰も「今の日本の”豊かさ”は異常だ! みんな冷暖房や自動販売機を我慢して、原発をなくそう!」と言わないのでしょう?
「仕入れは外税、小売は内税で苦しんでいる日本の中小企業は、消費税10%で全部潰れていただいて、生き残った大企業だけで”効率的”に経済利潤のみを追求し、冷暖房をこのまま使い続けよう!」とはっきり言わないのでしょう?
…私が疑問に思うのは、日本共産党や社民党をはじめとする「消費税反対」や「原発反対」を謳う政党や政治家が、「= 今より不便になる」ことをはっきりと言わない点です。
「社会的弱者が守られる国家」は、どんなに甘く見積もっても「今より”不便”になることを受け入れられる”大人”たちの集団」にならざるをえないのであって、我々日本国民を「やだやだ、原発もなくして冷暖房も今まで通り使っていたい!」とか「自分の生活が苦しくなるから消費税は上げるな!」とか、子どものワガママみたいなことを平気で言ってのける集団から、一歩成長させるような、「大人」になるような話術や根回しが必要なはずです。
…きちんと現実を正直に話して、プライドを揺さぶって、相手(国民)を「大人」にさせちゃった方が、「仕方ない。私たちは”大人”なんだから、”不便”を受け入れよう」と国民自らが言い出す結果になると思うんですけどね。
ドラマ「鈴木先生」第1話で、中学2年の男子生徒が同級生の妹(小学4年生)とセックスをして保護者が学校に殴りこんでくるシーンがありました。
そこで鈴木先生は、「セックスをしてもいい境界線は、実年齢ではなく精神年齢だと思う」と話したうえで、その少年に「おまえが”大人”だと感じて好きになったマナちゃん(相手の子)は、コンドームが見つかってお母さん怖さにふたりの大事な秘密を簡単に漏らしてしまうような子どもだった。矛盾しないか?」と問いかけ、「マナちゃんも、マナちゃんを”大人”だと感じた自分も、セックスなど到底許されないガキだ」ということを認めさせました。
また、ヒステリック気味の母親にも、「私がこうしてお母さんの話に耳を傾けているのは、あなたが”被害者の親”だからではありません。相手の少年を前にして、彼を糾弾するのではなく、彼を成長させんとする、私と同じ”大人””教育者”という立場にあるからです」と、大人に「自分は”大人”である、”教育者”という立場でもある」と自覚させることで、子どもじみた罵り合いを避けさせました。
非常に印象的なシーンでした。
ガキには”ガキ”だと自覚させ、大人には”大人”だと自覚させる。
たけし氏の言うような「大見得を切る舞台」で、是非そんなコントロールを意識した「大見得」を切ってほしいものです。
また、私たち「大人」の日常会話も、そんなレベルであってほしい、「ガキには”ガキ”と、大人には”大人”と自覚させるコントロール」を意識したレベルの会話であってほしいと切に願いながら、私は日々を過ごしています。
