------------
↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(27)


社会的なことを言わせてもらえば、庶民という大多数の人間をいかに扱って、いかにカネを稼ぐかというのが資本家たちの考えていることだ。
カネ儲けとは大量の人たちに何かを買わせたり動かすことだからね。
買い物もエンターテインメントも、みんなにモバイル一個持たせて全部できるようにしたじゃないか。


子どもの時はキティちゃんを買って、ディズニーランドに行かされて、マクドナルドとケンタッキーを食わされる。
携帯を持ったらゲームも音楽もダウンロードする。
年寄りだって最後は介護施設から墓まで用意されていて、生まれてから死ぬまでのほとんどを、資本家が上から管理する。


われわれは牛とか山羊じゃないかって感じがするもん。
気づかないだけで飼い慣らされている。


俺は、ダメだ、反発しなきゃって思ってる。
管理の枠から飛び出して殺されても、そっちのほうが誇り高いんじゃないかと思う時があるもの。
自分だけは絶対ディズニーランドに行かないとか、そういうほうが誇り高いような気がするんだけど。


↑(引用ここまで)
------------


私たちは「管理」されている。
私たち庶民は、一見それぞれが「自分の意志」で行動しているように見えても、「何を”いい”と思うか」「何を”おいしい””おもしろい”と思うか」というレベルから、売る側の戦略に多かれ少なかれ乗せられているのです。私も、あなたも。


小さい頃からマクドナルドの濃い味に慣らされ(「ハッピーセット」はほぼ赤字らしいです。その点からだけでも、いかに幼少期から味覚の「洗脳」が始められているかが伺えます)、ディスニーランドやテレビ番組、映画などの”大味”なエンターテインメントに慣らされ、一見子どもたちは自ら”好きなもの”を選択しているように見えますが、それは大企業の敷いたレールの上を歩かされ、金を払わせられ続けているにすぎないのではないでしょうか。


「携帯電話」なんて、その最たるものです。「安直なもの」「簡単に快感が得られるもの」を、資本家たちはしっかりと心得て、製造・発信し続けているのです。


…こんなことを冷静に言って抵抗しているつもりの私だって、資本主義の最下層である「消費者」として、個人的な”好み”の多くがコントロールされていると思います。…いや~、恐ろしいですよね。w


子どもにケータイを持たせない、享受するエンターテインメントは制限する。
他人にどう見られようと「偏屈」に、人と違う・世の「流行り」と違う”おもしろさ”を見つけるよう努める。
…そうして意識的に「偏屈」に、他人から「ヘンだ」と言われることを(それも「楽しそう」に)やっていかないと、いつまでたってもどこかの誰かに「管理」された「家畜国民」から脱出できないかもしれませんよ?


伝わりますでしょうか、この危機感が。
あなたはそれでも、「自分は”洗脳”なんてされていない」と言い張れますか?


ペタしてね