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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(25)
でもそれは芸人を取り巻く状況が昔と違っているからでね、挨拶できないのではなくて、挨拶するのに慣れていないだけだと思う。
そう考えれば、今の若いやつってそれほど悪くはない。挨拶を「しない」わけじゃないから。先輩にケンカを売っているわけではない。
いつ、どこで、どうやって挨拶をしたらいいか、その振る舞いが分からないだけなんだ。
芸人に限ったことではなくて、今の若いやつは礼儀作法が全然なっていないというけど、方法としての作法を状況的に分かっていないんだと思う。
電車の中で年寄りに席を譲るのは当たり前の作法でしょ。でも若いやつは座ったまんまで立たない。
あれはわざと立たないんじゃなくて、作法に気がついてないんだ。
電車に乗っているという状況の中で、ばあさんにどうやって席を勧めていいかの方法が分からない。だから寝たふりをしちゃう。
↑(引用ここまで)
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たけし氏の「今の若いやつってそれほど悪くはない」と言える冷静な視点や度量にも感服しますが、若者たちが礼儀作法を学ぶ「機会がない」「必要性がない」という状況になってきているのは事実だと思うのです。それが良いとか、悪いとかいう「判断」ぬきで。
それは、核家族が家族形態の大多数を占めたことで、子どもが大人たちに気を遣う場面が減っていることもあるでしょうし、大人が子どもに「今の子はこのくらいできなくても仕方ないかな」と寛容になってきている傾向というのもあると思います。…自分の部下に対しては「今の若い奴は礼儀がなってない」と愚痴を言うくせに。。
自分の子どもや後輩が「今の若いやつはダメだ」と言われないためにも、「こいつをどんな大人に成長させたいのか」「どのくらい礼儀作法を身につけさせたいのか」から逆算した「役割」としての「オトナ」を演じることを意識できている大人って、けっこう少ないと思うんです。みんな、「嫌われたくない」が先に立ってしまうのは分からないではないのですが。。
そういう「逆算」と、自分の「役割」を自覚して生活することを意識して周りの人たちの行動を眺めていると、「子どもを”可愛がりたい”のはオマエのエゴやろ、そんな”個人的な欲求”は自分のプライベートの友達か何かで充足すべきなんとちゃうか?」とか、「和気あいあいと過ごすのもええけど、そんなんで、ガキや若者のちょっとしたワガママと勝負しなければいけない場面でちゃんと勝負できんのか? オマエは”何のために”そこにいる人間なんや?」とか、最近そんなことばり考えてしまいます。…ちょっと厳しすぎますかね(笑)。
正直、みつなりは「和気あいあい」な雰囲気を作りっぱなしのタイプの人間なのですが、それだけに、子どもや若者たちと対峙するときのベースとなる「逆算」「役割」という考え方は、つねに頭のどこかに置いておくように努めています。
ガキや若者と楽しくやって馴れ合って、甘やかすだけ甘やかして「いい顔」して、多少の「失礼」には目をつむってしまって、そいつらがいざ外に出てみると、大人たちに対して「失礼」ばかりこいてしまう甘ったれ人間になってしまいました…なあ~んて「無責任な大人」にはなりたくないですからねぇ。。
だからみつなりは、育児中の親が子どもに対して「オマエ中心に家庭が回ってると思うなよ。オトンにもオカンにも、それぞれ自分の時間があるんだよ」って顔(パフォーマンス)を見せる場面をもっと増やしてもいいと思うし(子どもがかわいくてかわいくて仕方ないならなおさらです)、職場の後輩に対しても「”大人”に対してこんなことやったらアホやと思われるで」と具体的な失敗談をチクチクと、もっとたくさんしてやってもいいと思うのです。
…「今の若いやつはダメだ」と愚痴を言う前に、「自分は若い世代に何ができているか」という「自分の役割」を問う。
そんな素敵で粋な「オトナ」でありたいと、みつなりは思うのですが、みなさんはいかがでしょうか?
