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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(23)


歳のとり方ということで言えば、ちょっと古いけど「ちょい悪オヤジ」とかさ、中年の男が不良を気取ってみたり、若い時に不良だったやつが学校の先生や弁護士をやったりで、ワルブームみたいなのがあった。
そのへんの情けないオヤジが「俺も昔はワルでさあ」なんて言いながら、そういうやつに限ってワルじゃなかったという。いじめられっ子だったって。


数学的にみると面白くて、数直線上の真ん中がゼロで、向かって左側がマイナス、右側がプラスだとしたら、ワルは明らかにマイナスの側にいる。ゼロは普通の人、プラスにいるのは善良というかいい人。


それで、ゼロの人が「5」のいいことをやると「プラス5」になるけど、「マイナス5」の悪いやつがいいことをして「プラス5」の位置に行ったとすると、絶対値としては「10」だから、すごい偉いやつに見える。
それが元暴走族の弁護士とか「元ヤンキー」で、持て囃されてテレビに出たり本を出したりする。


ゼロの普通の人と、「マイナス5」の悪いやつで、どっちも同じ「プラス5」なんだけど、悪いやつのほうは「10」頑張ったから偉いですねって言われる。
でも、そいつはちっとも偉くないよ。
暴走族なんかやらないで、真面目に働いて勉強して弁護士になったほうが偉いのに決まってるじゃん。


どうして元暴走族とか、元ヤクザが司法試験に受かると誉められるんだ。
「マイナス5」の分を足してるじゃないかって。
そういう風潮があるから、何てことない中年のサラリーマンまで「俺は昔はワルだった」なんて嘘をつくんじゃないの。


↑(引用ここまで)
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正当な評価。
「ヤンキー」「元ヤンキー」に異常に価値を置きたがる風潮はおかしいと、私もそう思います。


確かに、中学・高校と学校の先生の言うことをちゃんと「良い子」に聞いて、勉強を真面目にやってきた人に比べれば、不真面目な方向に「ドロップアウト」して、いろいろな経験を背伸びして積んできた「元ヤンキー」のほうが、実社会寄りの経験値が高いぶん、面白味のある柔軟な人間が育成される確率は、いくぶんか高いような気もします。…私がテレビドラマか何かに影響されているだけなのかもしれませんけども(笑)。


ただ、「学校」というレールからはずれても、結局、パチンコやカラオケ、バイクや「それっぽい」ファッション、「コンビニの前でたむろ」…といった「いわゆるヤンキー」というレールに移っただけで、そいつ個人が面白味のある、オリジナリティのある、深みのある人物であるかどうかは、乗っかっているレールにはあんまり関係ないと言われれば、そんな気もします。


もっと言えば、「真面目ちゃん」よりおもしろい、パチンコやカラオケといった消費娯楽のレベルで満足しない、独自の考えと社会性をもった「ヤンキー」「元ヤンキー」なんて、いったいどれだけいるのでしょう?
ほとんどの「ヤンキー」「元ヤンキー」は、親のすねをかじりながら他人様に迷惑をかけて我が物顔、安易な大衆娯楽を消費させられているだけの、勉強ばかりの「真面目ちゃん」とさほど変わらない「人間味」しか持ち合わせていない、そんなあたりの評価が妥当な線ではないでしょうか。


…というか、親や社会に反発するなら、もっと徹底的にやれよ、とも思います。
「Don't trust over the 30!」と叫びながら若者たちがモヒカン刈りにして街を練り歩いて久しく、頭を下げる「オトナ」「サラリーマン」をもっと軽蔑してもいいと思うし、もっと政治に意見してもいいと思うし、そのためにもっと社会や政治について勉強してもいいとも、思うのです。
私は学生時代、どちらかと言うと「真面目ちゃん」(?)だったと思うのですが、排気ガスを出しながらクルマやバイクを乗り回す「オトナ」を心の底から軽蔑していましたし、駅のホームでは地面に投げ捨ててあるタバコを拾って歩いていました。
いくら周りに白い目で見られようと、自分だけは「周囲の視線に負けない自分」「”社会”に噛みつける、媚びない自分」で居続けたい、と本気で思っていました。…それは今も変わらないですけど(笑)。


そういう「反骨精神」「ロックな心意気」という目線で若者を見ると、「ヤンキー」だろうか「真面目ちゃん」だろうが、ちょっとヌルいんじゃないかなあ、と最近そんなふうに思います。
もっと「オトナ」に反抗して、論破されて恥かいて、次は負けないようにもっと勉強してこいよ、簡単に既存体制にのまれんなよ! と。
私が高校生のとき、「絶対にテレビは見ない」と豪語している奴もいましたし、「コンビニは使わない」「自動販売機は使わない」「携帯電話は絶対に持たない」なんていう偏屈でおもろい奴はいっぱいいました。そういう奴らはきまって付き合いは悪いし、空気を壊すような発言は平気でするし、周りから白い目で見られても平気なタフな奴らでした。…そんな彼らをこっそり尊敬もしていました。


…話がだいぶそれました。
結局のところ、「元ヤンキー」だろうが「元真面目ちゃん」だろうが、そいつ個人のオリジナリティの基礎となる10代~20代を、どれだけ偏屈に、どれだけ勉強して過ごしたかが評価すべきポイントなのであって、「元ヤンキー」というだけで即「反骨精神の象徴」と美化して加点するのは、評価基準がザルだと言わざるを得ません。


そんな安直な評価視点だけで暮らしていると、ファッションだけ、口先だけ「ロック」な若者あたりに足元すくわれちゃいますよ!


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