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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(22)
それで粋な大人が少なくなったって話の続きで、日本はかっこ悪いやつばっかりのくせに、みんなかっこよくなりたがる。
かっこ悪いと自覚してるからかっこよくなりたいのか、自覚がないからなのか知らないけどさ、だいたいそういうやつって外見から入るんだ。
最近目につくのは「アンチ・エイジング」っていうの? きれいに歳を重ねましょうって、みんな必死じゃん。
顔のしわを伸ばしたり、ヒアルロン酸だのケミカル・ピーリングだの、整形みたいなことしてずいぶんカネがかかるらしいけど。
しわだけ伸ばしてもしょうがない。しわをとってそれなりの顔をつくっても、顔以外が下品だったら意味がないわけ。
飯の食い方から、言葉遣いとか態度とか、服の趣味とか全部をひっくるめて個人の総合芸が成り立たないと、貧乏のくせにバッグはルイ・ヴィトンですっていうやつと変わんなくなっちゃう。
「貧乏な格好でヴィトンのバッグはないだろう」と同じように、「下品な格好して、そのツルツルの顔はないだろう」って言われるよ。
品があって粋なおばさんは、整形しなくたって品がる。
それに若いころから何かいい趣味を持ってて、長く続けているとか年季が必要なんだ。
年季のあるなしで人間の雰囲気が違う。30分のプチ整形じゃ雰囲気はつくれない。
↑(引用ここまで)
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アンチエイジング、見た目の「若さ」の追求は、何も今に始まったことではありません。
いつの時代でも、「見た目」に気を配ったり、「色気」をもって生活したほうが、いきいきと毎日を過ごせるのは事実だと思います。
それは、太りすぎていたり、服装なんてどうでもよくなってしまったおっさんやおばちゃんを見ればよくわかるでしょう。…なんて「いきいきとした自分」を振りまかずに生活していることか!
今回話題としたいのは、『総合芸』。
服装を気にするもよし。お金をかけてプチ整形するもよし。
ただ、毎日そんなことばかりで頭がいっぱいなのは、違うと思うのです。
そんなものはひとりで勝手に工夫していればいいのであって、そのうえで「その人が何をするのか」ということのほうが重視されるべきでしょう。
その人が、何に多く言葉を費やすのか。
その人は、『総合芸』として、どんな「個人」であるのか。
以前にリリー・フランキー氏の「”身だしなみ”と”ファッション”の違い」についてお話したこともあったと思いますが、「着ちゃって終わりじゃない。塗っちゃって終わりじゃない。その人が、どんな意識を持って過ごすのか」というバランス感覚の問題だと思います。
そんなバランス感覚も持ち合わせていない、ちっぽけな『総合芸』に、私は何の魅力も感じないのです。
…あなたの『総合芸』は、どんなですか?
