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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(17)


変なことに「夢」って言葉を使わなきゃいい。
安易に何でも夢、夢って言うからわけが分かんなくなる。


どうしても夢があるって言いたいんなら、せめて「努力目標」とかに言い換えてくれないかなあ。
やりたいことやなりたいもののために勉強するんだったら、それはそれでけっこうじゃないか。
俺だって仕事では努力するもん。夢だけ見て何もしないやつとは全然違う。


今のやつが決定的にダメなのは、夢は見るけど何も努力しないし、繰り返すけど夢がかなわないのを他人のせいにしちゃうことだよ。


↑(引用ここまで)
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…『どうしても夢があるって言いたいんなら、せめて「努力目標」とかに言い換えてくれないかなあ』。


「”借りものの言葉”でなく、”自分の言葉”でしゃべろうよ」というたけし氏の指摘、ごもっともです。
「夢」「頑張れ」なんて聞いたふうなことを簡単に口にする人にしても、政治家の答弁なんかにしても、「自分のアタマで考えたことなら、もうちょっとオリジナリティのある単語が口から出てくるものなんとちゃう?」と言いたくなることは、多いです。


「誰からも文句を言われないように」「無難に」「相手に失礼のないように」と身構えて暮らしてきた人ほど、発言の多くがそいった”聞いたふうな”言い回しばかりになってしまうのかもしれません。


私だって、仕事をしているときは、内部の会議資料だって会議での発言だって、同僚や上司に失礼のないように、”無難な”丁寧な言葉を使います(たまにふざけちゃうときもありますけど。。w)。
多くの人から注目されてしまうポジションにいる人ほど、本人が望もうと望むまいと、ツイッターや2ちゃんねるで炎上しないように、それこそ「不謹慎だ」と言われないようにw、発言が「誰に対しても”失礼”と受け取られないように」「誤解されないように」なっていってしまうのは仕方のないことだと思います。
どんな仕事でも、”「個性」を出しては公共性を欠く”場面があるのも、当然理解できます。…まあ、逆に「そこで”個性”を出したがるのは、おまえの個人的なワガママやろ? ちゃんと”仕事”せえよ」と思わせる輩も少なくないですが。。


でも、だからこそ、「普段の”大勢多数”向けのしゃべり方に引っ張られて、考え方や行動までも”無難”になっていやしないだろうか?」と注意して暮らすことが重要なのではないかと、私は思うのです。自分の言動が、多くの目に触れやすい人ほど、です。


そういう意味で、私は身の回りの人やら政治家やらの「”無難”すぎるしゃべり」「そいつの”人間性”までつまらなく見せてしまう話し方」を目の当たりにすると、「この人、”言葉に自分の行動が引っ張られてしまう危険性”を理解してへんな?」とか「頭ではわかっているつもりでも、イヤでも”環境”に順応していってしまう”人間の弱さ”を知らんのか?」とか訝しんで見てしまうのです。


…たけし氏の『努力目標』みたいな「テメエのアタマで考え、言葉にする」工夫、あなたはしていますか?


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