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↓『本能の力』戸塚宏著、新潮新書、2007)より引用(07)


ちなみに、私は子供が元気に走り回っているのを見るのが大好きです。
大人のいるところではしゃぎ回る子供を見て眉をひそめる向きもありますが、子供はそのくらいの方がうまく育つのです。
子供が大人数の大人に囲まれる状況が頻繁にあるというのは現代ならではの話であって、昔はそんな状況はほとんど無かったわけです。
動物として考えた場合には不自然な状況ですから、子供がそれに適応できなくても不思議はありません。


出所後、ある温泉で支援者の方が激励会を開いてくださったことがあります。
そこにもはしゃぎ回る子供がいて、嫌な顔をしている大人がいました。
だから、その場で私は「子供はこうじゃなきゃいかん。こういうところでシュンと大人しくしているような子供ばかりじゃあ、日本に将来は無い」と言ったのです。


世間の持つ私のイメージでは、そういう時にも「鉄拳制裁」をする男となっているのでしょう。
しかし、基本的には子供は元気が一番です。
走り回る子供を怒鳴りつけるような趣味は、私にはまったくありません。


↑(引用ここまで)
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レストランや飛行機など、公共の場で、大声ではしゃぎ回る子ども。
あなたは、そんな現場に遭遇したとき、どんなふうに思いますか?


私が大好きだったテレビ番組「松本紳助」で、松本人志氏はこう言っていました。
「公共の場でうるさい子どもに腹立つというよりも、その子どもに対する大人の対応で、僕は子どもを嫌いにさせられている!」と。


他人が食事をしている横でギャーギャー騒ぎながら走り回る子ども。
その子ども自体が空気を読めないのは仕方ないにしても、「うるさくしてすみません」という態度すら見せない親に腹が立つ、というのはとても理解できます。


別にいいんですよ、子どもが元気よく走り回っても。
でも、「うるさくして、ホントにすみません」「いえいえ、大丈夫ですよ」と大人どうしのやりとりは、必要だと思うのです。
…ちょっとおカタい考え方ですかね?


「やめなさい」でやめさせられない、むしろ注意しているオマエの声の方が迷惑やろ、といった母親。
「いただきます」や「ごちそうさまでした」も言わず、食事中に席を立ったり、はしゃぎ回ったりする子どもを全く注意しない家族。
そのどれもが日頃の教育レベルが知れる現象ですよね。


「やめなさい」の一言でやめなかったら、「ハイ、終了~」で家に帰ったらいいんですよ。「オマエのせいで、みんな家に帰るんやからな」を含ませて。絶対に次からは、「やめさない」一発でやめるようになりますから(笑)。


子どもが食事中に遊んだり、席を立ったりしても、「ハイ、終了~」で、家族全員食べ残したまま店を出ればいいんですよ。
…普段から食事中にはテレビを消すとか、「食べるときには食べることに集中しろ」と言い聞かせていれば、外に出てそんな醜態を晒すことになるはずがないとは思うのですが。


公共の場で、赤ちゃんが泣いてしまうのは、仕方のないことです。
公共の場で、空気なんて読まずに、子どもが走り出してしまうのも、当然といえば当然のことです。
しかし、親をはじめとする周囲の大人がそれにどう対応するか。大人自身が、どんな「公共意識」を持っているか。どんな「公共意識」を子どもに持たせようとしているのか。
子どもの行動そのものではなく、それに対応する大人をじっと観察すれば、その大人自身の「公共意識」が見て取れると、改めて思わされた戸塚氏の文章でした。


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