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↓『下世話の作法』(ビートたけし著、祥伝社、2009)より引用(12)
前にアメリカに行った時、アメリカ人とケンカになったことがある。
そいつは貧乏で学歴も何もないんだけど、自分は将来どうにかなると思い込んでいた。
「タケシ、アメリカはどうだ、いい国だろう。この国には『ドリーム・カム・トゥルー』があるんだよ」
NBAだったか、バスケットの試合を見ながらそう言うわけ。
あの黒人選手を見てみろ、あいつはスラム育ちで貧乏からのし上がってスター選手になったんだって。
これがアメリカン・ドリームだ、サクセス・ストーリーだ、だから自分も、と思ってるの。
だから俺は反論してやった。
「あいつには才能があるけど、お前にはねえじゃん」
それでケンカになっちゃった。
才能が何もないやつに限って夢を持っている。
まあ見方を変えれば、夢を持ってるから暴動が起きずにすんでるとも言えるわけで、夢がある、夢は実現できるとずっと信じていれば、貧乏人もやけくそにならない。
そういう意味じゃ国や社会は、才能のないやつにも夢を持たせたほうが都合がいい。
夢を持たせることで不満が爆発するのを抑え込める。
だから合法的な麻薬みたいなもんだよ。
ニューヨークのブロンクスとかハーレムとか、貧民街(スラム)って呼ばれる地区からは、たしかにヒップホップのミュージシャンとか有名なスポーツ選手が出ている。
出世してカネをつかんでるけど、ほんとはそんな出世する天才なんて、ごくごく一部だ。
そういうのが「やればできるんだよ」の見本になってるから、音痴で頭が悪くて運動神経の鈍いやつでも「俺はまだ行けるぞ」「未来には何かある」って言う。
でも未来には何もないよ。麻薬が効いているだけだ。
↑(引用ここまで)
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…『そういう意味じゃ国や社会は、才能のないやつにも夢を持たせたほうが都合がいい』
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島田紳助氏が若い頃、漫才ブームで売れ始めてしばらくして、師匠にこう言われたそうです。
「おまえは世間では”成功者”と呼ばれるかもしれないが、これといって特別に努力してへんやろ? でも人に聞かれたら”それなりに努力してます”と答えや。だって人は皆、”努力したらいつかは夢がかなう、報われる”と思うからこそ頑張れんねんで。…でも、夢は努力なんかではどうにもならんことを、キミは知っているやろ?」と。
「才能」と「運」のある奴は、放っておいても勝手にのし上がる。…一方で、「才能がない」のに、「自分には可能性がある」と思い込んでいる奴ほど醜いものはないと、そう思わされることは多いです。
多くの人から注目されなくたって、評価されなくたって、「負け組」なんて枠組みに分類されたって、まじめにコツコツ、他人に迷惑をかけずに生きていれば、それでいい。
今のままで、じゅうぶん幸せ。これ以上に何を望むことがあるのか、と。
「自分が、自分が」と自分の将来や「夢」のことばかりでアタマはいっぱい、他人へどんな迷惑をかけているのか顧みることもなく、主権者としての義務も全うせず、他人が作ったエンターテインメントを消費して、毎日トラック輸送されるコンビニ弁当を食い散らかして、そのくせ世の中わかったような面して、「自分のため」だけに、ワガママに生きる。
…国や社会によって都合のいい「自分のアタマで何も考えないで生きる」人間のひとりにさせられてしまっていることも気づかずに。
「自分はどうせダメなんだ」という”諦め”とも違う、「分をわきまえる」「身の程を知る」「足ることを知る」感覚が、「夢」「可能性」というフワフワした言葉によって失われつつある現状に、危機感を禁じえません。
