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↓『ニーチェ入門』(西研・森一郎ほか著、河出書房新社、2010)より引用(04)


「なぜ哲学なんかやっているんですか?」と訊かれることが結構あります。
その場合、私は怪訝な顔をしてこう答えることにしています――「ええっ? じゃあ、人生で他にどんな大事なことがあるんですかぁ?」ってね。
たしかに他にも重要なことはあるでしょう。私だって、他に色気がないとは口が裂けても言えません。けれども、そのいろいろある中の一つに、つまり幸福な生として、「知を愛する」という極めつけのあり方があってよいと、そう教えてくれたのがニーチェでした。
個人的な告白みたいですけれども(笑)。


↑(引用ここまで)
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ものを考えること。
自分自身に厳しいルールを課したうえで、そんな自分自身を納得させられる「ものの見方」を確立しようと、考え続けること。
「メシの種」「お金」「あくせく働くこと」とは真逆の、「ゆとり」「暇」を思索にふけることに惜しみなく当てる楽しみ。
それが、「哲学」です。


「イチローの野球”哲学”」、「○○氏の成功”哲学”」といったような、「哲学」という言葉が「これが私のやり方」みたいな意味での使われ方をすることが多いと思うのですが、それは「哲学」「思索にふけること」「知を愛すること」への誤解を生んでいるように思います。
そんな巷にあふれる「哲学」話を聞いてみれば、結局「お金持ちになるためには」だとか「職場の人間関係がうまくいくためには」だとかいう、古代ギリシアの自由人たちから言わせれば「奴隷的」な「安心」を与えるにすぎない方法論にとどまっているのがほとんどでしょう。


では「お金持ちになったら」何をするのか?
「職場の人間関係がうまくいくようになったら」何をするのか?
目的それ自身が自己目的化しているというか、それによって得られた「ゆとり」「暇」を何に費やすのかは語られないままです。


「お金」も「仕事」も「生活環境」も、私たち人間が「人間として生きる」ための「手段」にしか過ぎないのであって、「私は”哲学”、”ひとり思索にふけること”のためにお金を稼いでいる」なんていう「動物的な、生活の”必然”以外の価値」を口にする人には、あまりお目にかかれません。


「美味しいものを食べるため」?
「たまに旅行や買い物などの贅沢をするため」?
「仕事で成功するため」?
…そのどれもが「奴隷的」「動物的」「他人の作った娯楽を消費するだけの、自分自身で”価値”を生み出さない程度の生き方」でしかないように思います。


あなたは、何のために生きていますか?
『ええっ? じゃあ、人生で他にどんな大事なことがあるんですかぁ?』と切り返されたら、何と答えますか?

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