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↓『いつも心に紳助を』島田紳助著、小池書院、1996)より引用(10)
最近うちの仲間がエア・ガンに凝ってるんですよ。迷彩服着てね。ぼくもだいぶ撃たれましたよ。
もうすぐできる能勢の家で、サバイバル・ゲームをやってるんです。あくまでもゲーム。遊びです。
迷彩服を着たら、戦争をやろうという方向なんじゃないか、戦争の恐ろしさを知らないんじゃないかと怒る人がいますよね。
でも、ぼくは思うんですけど、あれを着てみると、戦争に対してちょっとは考えますよ。
だって、ゲームをしていて、弾が当たった瞬間、これでオレはほんまやったら死んでんねんな、と思うもの。
それよりも、戦争映画を見てカッコええなと思ってる方が、危険やと思いますよ。
戦争映画って、いつも自分が主人公でしょう。
最後まで生き残ったヤツに自分を当てはめていくじゃないですか。
バッバッとゴミのように殺られていくヤツには、自分を当てはめないでしょう。
ああいうのが危険やね。サバイバル・ゲームをすると、自分に当たる。ほんまに当たったら、死んでるわけです。
それが事実でしょう。おもしろいですよ、あれは。
↑(引用ここまで)
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「戦争」や「死」について、どれだけ分別があるか。理解しているか。
こうして机上で考えたり、ネットや文献にあたるより、紳助氏のように一発サバイバル・ゲームを体験した方が、ずっと「戦争」や「死」を身近に感じられるかも知れません。
そういう意味で昨今の日本は、「一歩間違ったら死ぬかもしれない。大ケガするかもしれない」みたいなことを、事前に禁止しすぎだと思うのです。
育児でも、政治でも、「何かあったらどうするんだ!」を言い過ぎなんですよ。
事前に親が危険を取り除いてあげるより、失敗させて、子どもに痛い思いをさせて学ばせた方が、納得して工夫しようとするじゃないですか。
日米安保を撤廃して、米軍基地が日本から無くなったら、北朝鮮がミサイルを撃ってくる? …それなら丸腰で撃たれようじゃありませんか(笑)。
まあ、ミサイルもタダじゃない(というかべらぼうに高い)ので、軍事基地の無くなった日本にミサイルを撃ってくるはずがないとは思いますが。。
街中での自動車レースを許容するモナコの人たちから見たら、きっと、日本は考えられないくらい「何かあったらどうするんだ!」と言う人ばかりの国に見えていることでしょうね。
「事前に危険を防ぐこと」は確かに大切なことですが、「”戦争”や”死”に分別のある国民土壌が育ちにくい」というデメリットを理解して取り組めている人の少なさを思うと、どうにも不安が拭えないのです。
…私もあなたも、戦時中の人たちに比べれば確実に、「死」「危険」を身近に感じないで生活しているでしょうから!
