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↓『学校嫌い』(江川達也・山田玲司著、一迅社、2007)より引用(10)


山田:江川さんは、逆風を受けている状況だったり、みんなにバッシングを受けたりしたときに、その状況を快感とは感じないんですか。


江川:うーん、どっちにしろ快感じゃないかな。放置プレーも快感だし。
というよりもね、俺のなかでは、人生を生きていくためには、なにもかもを快感に感じるんだっていう、そういうシステムを考えついているんですよ。そのためにどうやって自分の心をマインドコントロールするかというのを考えて、生みだした。そうすると、世の中何があっても生きていけるなっていうのがわかったよ。


山田:それっていいですね。


江川:俺のなかでは、なにか問題があると、こういう人間になればこれが解決できるという問題解決法をシステム的に考える。そのあとで、自分の精神を改良する。改良するための教育プログラムを常に自分に課す。
つまり、自分が先生になって自分に教育して、それを着実に実行していく。だから自己完結していく。
俺は教育プログラムを考えるのが大好きなんですよ。だから君も覚えていると思うけれど、アシスタントにも教育プログラムあったでしょう。それを自分に一番施しているんだよ。
そうすると、自分の精神を、こういうときにはこういうふうに考えるようにすれば解決できるし、しのげるってやっていくうちに、いろんなことに対応できるようになるわけ。


山田:快感物質のドーパミンを、どういう状況でも出せるように?


江川:そういうようなシナプスのつなぎかえを、自分でやるわけですよ。


山田:それって極意みたいなのはないんですか。どうすれば、どの状況でも快感を感じるみたいになるんですか?


江川:それはまず、状況を分析して。


山田:それで把握すると。


江川:それで、なんでこれがこう苦しいのかと考える。すると、こことここをいじれば、それが快感に変わるみたいなポイントがあるわけで。


山田:なぜそれを苦しみに感じているかっていうことを分析して?


江川:欲望のコントロールだよね。


↑(引用ここまで)
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江川氏の言う、この『自分の心をマインドコントロールする』問題解決の手法は、私自身も実行しているところです。
どんな悩みやイライラも、いくつかの問題が重なって起きたり、未知の問題が起こったときに、その処理が間に合わないことで発生するのだと思います。パソコンのビジー状態と同じです。処理が追っつかないのです。
悩みやイライラのメカニズムや、自分の対処能力(視点の切り替え)への注意が少ない、もしくは怠っているために、憂鬱な気分なまま日々を過ごしている人は、少なくないと思います。


たとえば私の場合、悩んだりパニックぎみになったりしたら、まず「なぜ、こんなに嫌な気分なんだろう?」と問題をひとつひとつ洗い出します(分析)。
次に、その問題が3個なら3個とわかったら、「いつ、どこで、だれが、なにを」したら解決するのか、もしくは解決しないのかを1個ずつ想定してみます(把握)。
問題の個数と状態がそれぞれ把握できたら、「明日これをやってみよう。それまでは、緊張するのは疲れるだけだからやめ、やめ!」とか、「これは、来月まで解決はムリやな、今はすっぱりあきらめよう」とか、「これは他人が決めることで、自分ではどうしようもない。もう、笑うしなかいわ」とか、『自分の心をマインドコントロール』して、できるだけ自分が「快」と感じるように、「不快と感じてしまう自分の心」をコントロールします(不快→快への自己マインドコントロール)。


こうすることで、たとえば電車の中でマナー違反なんかをするような人にイラっときたら、「この場でこの人を注意して、”不快ですよ”メッセージや教育的メッセージを送りたいか?」と自分に問いかけ、「今は言ってやりたい! ただし、結果は期待せずに」とか、「今、こいつにそんな労力かけたくないわ、笑ろとけ笑ろとけ」とか、自分の心を「不快→快」へもっていくことができます。


ほかにも、ちょっと何かにチャレンジして失敗したり、お金を損したりしても、普段から「自分がどんな目的意識をもって行動しているのか」に注目するクセをつけておけば、「まあ、ええ社会勉強になったわ」と「不快→快」にもっていくことができます。
こういった『自分の心のマインドコントロール』は、それこそ、ちっちゃな買い物に失敗してしまうといったような日常生活の場面から、仕事や冠婚葬祭などで恥をかいたり、家族や他人とトラブルになったりするような比較的大きな精神的負荷のかかる場面まで、いろいろなところで活きてくると思うのです。


…なにかトラブルにあって、悩んだり、怒ったりしている自分に気づいたとき、「自分の心を”快”にもっていくような工夫を怠っていないか?」「このトラブルは確かにキツいけど、捉え方次第ではおもしろく感じられないか?」と自分に問う姿勢が身についていない人、いませんか?
結局は自分の捉え方の問題、「不快→快」の自己マインドコントロールが下手なせいだと考えることができれば、とりあえずは、どんなトラブルも「自己マインドコントロール」の訓練の一環として捉えることができると思うのですが、いかがでしょうか?


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