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↓『学校嫌い』(江川達也・山田玲司著、一迅社、2007)より引用(08)


たとえば江戸時代には儒教があって、親孝行しろと言われた。でも、いま、儒教とかそういうことを言うと、左側の人が、「そんなことをやったら戦前の戦争をもう一回繰り返す」と言うじゃないですか。戦争アレルギーというか、伝統アレルギーみたいなものがあって、基本になるようなものさえも、みんな否定されてしまう。西洋はキリスト教があって、「信じる者は救われる」からいいけど、我われ日本人は戦争に負けたから、戦前のものは否定しろみたいな勢力が必ずあるわけですよ。
かと思えは、自民党のほうには、「伝統をやりましょう」と言う、本当に戦前のバカな人間の末裔みたいなやつらがいる。


そうではなくて、中道というか、人間として大事なことを言おうとしている人さえも、左側の人が否定するから、なんにもできなくなってしまう。あとは、アメリカかロシアが言うことはみんな受け入れましょう、みたいになる。そうすると自立しようがないでしょう?


もちろん、隣の国に乗り込んで侵略行為をするというのは、現代においては間違っている。でも、だからと言って、「平和、平和」と訴えていたからって平和になるわけではないんですよ。
要するに俺が言いたいのは、よく小学生のころ、ぼーっとして犬のウンコ踏んじゃうじゃないですか。でも、踏む、踏まないをよく分析すれば、こうしないとウンコ踏む、こうすれば踏まずにすむってことがわかるわけです。


平和主義者はその分析をやってないから、口先だけ言っても、またウンコ踏むんですよ。過去をちゃんと分析して、こうだったからこうなりました、そうならないためにはこうします、という科学的な回答がないとまったく意味がない。


だから過去の戦争や歴史をもっと勉強しなくちゃいけない。侵略を分析もせずにただ単に否定したら、思考は停止する。それをなくすために、どうしたらいいか考えないといけない。
これは、憲法第九条を持っている国だからこそ学ばなければいけないことだと思いますよ。


↑(引用ここまで)
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…『中道』。
「身近な人が死んだら悲しい」→「戦争は人を殺す」→「だから戦争はダメ」みたいな短絡的平和主義者に違和感を感じるのは、そこに科学的分析がないからだったんですね。思考がそこで停止しているからだったんですね。
小学生が「いのちを大切にしよう!」とか何とか言うレベルと変わらない軽さの発言をする大人は、いまだに多くいると私は感じています。それも、「自分は正しいことを言っている」と思い込んで言っている輩が。


現代は、右も左も一通り経験した上に成り立っている時代だと思います。
「分析なしの左」「考えなしの右」に陥らない『中道』を目指したいものです。


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