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↓『学校嫌い』(江川達也・山田玲司著、一迅社、2007)より引用(05)
山田:江川さんにとっては、漫画を描くということは教育なんですか?
江川:もちろんそうですよ。デビュー前から。持ち込みしているときから教育ですよ。
ただ、悲しいのは、漫画と教育は真逆なんだよね。要するに漫画――エンターテインメントというのは、いかに人間を堕落させるかだから。本当は人を殺したいけれど、現実で人を殺しちゃダメだから漫画のなかで殺すみたいな。
教育は真逆で、漫画ではそういうことを言っているけれど、本来はこうじゃないと秩序はできませんみたいな。
だから、教育が強くて、漫画が弱いくらいがよかった。でも、教育のやつらがボーッとしていたために、漫画やメディアのほうが強くなっちゃって。枠組やっているほうが時代に取り残されて、枠組を壊すほうが時代の主流になってしまった。それで問題が起きた。
(中略)
江川:いや、でも俺は教育を真剣に考えているからね。ただ、漫画で教育したらさ、漫画が売れなくなるんだよ。だって真逆なんだから。
山田:じゃあ、民度を上げるために描いているんですか?
江川:当たり前じゃないですか。ただ、全部を上げようとは思っていない。わかるやつらが迷っていたら、ひとつの道しるべにはなるじゃない。
たとえば俺と似たようなやつがいて、漫画を描いていたとするじゃない。だけど、いいものを描いているのに売れないと悩んでいたとする。
そうすると俺がどこかで、「いいもんは売れないんだよ!」って言ってあげれば、力強いじゃない。
いまの世の中は、売れたり、みんなを堕落させたりするものが評価されているからね。そういうのを真っ向から否定しつつ、自信を持っていたりすると心強いでしょう? まじめにやろうと思うでしょう?
↑(引用ここまで)
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エンターテインメント。
漫画や雑誌、テレビ、ゲーム、インターネットなどの情報・娯楽産業。
それらは本来、世の中の秩序や枠組があるからこそ成り立つものなのに、その枠組自体を否定したり、秩序を重んじる姿勢を笑い飛ばしたり、現実には実行できないような願望を満たしてくれる「清涼剤」のようなものでした。
普段からきちんと「栄養」をとっているからこそ、ちょっとした息抜きとして「清涼剤」が存在するのに、江川氏も言う『教育のやつらがボーッとしていたために』、世間には「息抜き」や「清涼剤」ばかりがあふれるようになってしまったのです。
私も含め世の中の関心事は、「息抜き」や「清涼剤」のことばかり。
「枠組」や「主(あるじ)としての自覚を持って生きよう」みたいなことをいくら言っても、「そんな堅苦しくて難しいことばかり言わないでも」「そんなことより今週末映画館行こうよ」「本当はあなたも”娯楽”の方が好きなんでしょ?」と、「息抜き」や「清涼剤」側の価値観から押しつぶされてしまうのが関の山です。
これは、「エンターテインメント」への関心が、「枠組」「秩序」への関心よりも多くなってしまったために、起こる現象です。
江川氏の言葉を借りれば、『漫画やメディアのほうが強くなっちゃって、枠組やっているほうが時代に取り残されて、枠組を壊すほうが時代の主流になってしまった』のでしょう。
「枠組」「秩序」を重視する人など、少数派も少数派になってしまったのだと思います。
私がこうして文章を書いていることも、そういった「秩序」と「娯楽」のバランスの悪さを是正しなければ、という危機感から続けているのかもしれません。
江川氏の「漫画による教育」の影響力に比べれば、微々たるものでしょうけど。。(笑)
