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↓『学校嫌い』(江川達也・山田玲司著、一迅社、2007)より引用(01)


江川:たとえば不良が、先生が間違っていると言ってグレるのは、単に先生に甘えているだけだから。先生が気に入らないなら、自分が先生になってすごい理想を見せてやるぞ、というような復讐の仕方をしないとダメだと思う。やっぱり乗り越えていかなきゃいけないと思うよ。


山田:すごくバカな質問なんですけれど、学校って、そういう訓練ができる場所なんですか? つまり、大人世代の矛盾を、自分の問題として乗り越えなきゃいけないわけで、そのための訓練をする場と。


江川:そうだね。いまはその反面教師として学校があると思うよ。


山田:学校って、この狂った世の中の象徴みたいなところだから、あんなところへ行くのは、どう立ちまわったらいいか、あらかじめ体で感じてこいと。そういうふうにも言えるんじゃないですか。


江川:まあ、それもあるけれど、そうじゃないいい学校も作れると思うし、そっちのほうがましだと思うよ。戦前とか、実際にそういう学校があったんだから。


↑(引用ここまで)
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安易な批判。
学校の先生を「あいつはダメな奴だ」と言って見下す子ども。
政治家やタレントを「あいつはどうしようもない無能だ」と言って批判する大人。
江川氏の言うように、それは、ただの「甘え」です。
というか、そういう「他人を安全なところから口先だけで批判して、自分が上に立ったような気分になって悦に入る」欲求にカンタンに負けすぎです。


「自分が教師だったら、政治家やタレントだったら、彼ら以上の何ができるだろう?」と、自分自身へ突きつけることのない無責任な「批判」は、醜い。そして、そういう目先の安易な「欲求」に負けているとも気づけない輩の多さときたら!


…と言いつつも、私自身もそんな「安易な批判者」「自分がキモチよくなるために文句を言う人」になっていやしないだろうか? と、不安になってりも、するんですけどね。。


私が今の仕事に就いたのは、たぶん高校生のときにそんなことばかり考えていたからだと思います。
自分は、もっと輝いた大人になってやる、と。


毎日楽しそうに、愚かな行為は愚かだと言い放ち、それでいて自己研鑽を忘れない…そんな素敵な大人になりたい、なってやる、と本気で思っていました。
私なら、もっとおもしろおかしく生きる背中を若者に見せられるで、と。
…その気持ちは今も変わっていません。


それだけに、教師や大人たちを見下すようなことを言いながら自己を鍛えないガキどもや、ニュースを見ながら無責任な文句ばかりたれている自分を恥ずかしく思わない、輝いていない大人を見るたびに、私の中の「反面教師」がうずくのです。。


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